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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略

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経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act  Exercise 60 Cases

情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution

論文とエッセイ(日本語)Theses and Essays

 

通商問題と企業の対応

JMEAジャーナル(日本機械輸出組合、1997年1月)

本間忠良  

目次

1.通商問題−−歴史の目で見たら
1.1.米国通商戦略と冷戦思想
1.2.欧州統合と文化・農業問題
2.21世紀世界通商レジーム
3.日本企業の対応
3.1.ナショナル・インタレストの再発見
3.2.日本企業の対応

 

1.通商問題−−歴史の目で見たら

1.1.米国通商戦略と冷戦思想

 21世紀へのカウントダウンあと4年という機会に、通商問題という、いかにも20世紀的なテーマを、すこし変わった視点から見なおし、そこから抽出できるトレンドを、21世紀にむかって外挿してみよう(1)

 現象を歴史の目で見ることのできる人なら、戦後の国際通商問題の長い歴史のなかに、風が吹いたりやんだりするような、あるいは季節が移り変わるような、一種の周期が存在することに気づいただろう。しかもこの周期が、GATT(関税と貿易に関する一般協定)各ラウンドの周期とほぼ一致することにも気づいただろう。

 通商摩擦が発生、深刻化し、危機化を経て、破局寸前でラウンドになだれこみ、みんながすこしずつ不満な合意ができあがる。そのあと1−2年はデタント(休戦気分)が続き、そのなかでつぎの通商摩擦の種が育っていく。20世紀後半、私たちはこんなことをくりかえしてきた。現在はポスト・ウルグアイ・ラウンドのデタント期にある。

 季節変動はあっても、そのなかで変わらない要素もある。戦後通商問題の主役はずっと米国だった。その米国が、通商世界のすぐ外側で、一貫して続けていたことがある。ソ連との冷戦である。冷戦の基本戦略−−というより基本構造−−は抑止(deterrence)と呼ばれる。端的にいえば、相討ちの恐怖による平和維持のシステムである。

 米国は、もしソ連が全面核攻撃(第一撃)をかけてきたら、ただちに全面核報復(第二撃)を返す(したがってこの場合は共倒れになる)能力と意志をつねに保持し、そのことを宣伝することによって、ソ連からの第一撃を「抑止」してきた。この前提には、正気な人間なら共倒れは避けるだろうというという認識がある。

 米国では、半世紀にわたる抑止の歴史のなかで、本来は軍事的安全保障の思想であった抑止が、平時の通商戦略にも溢出(spill over)してきている。米国の通商法301条を通商上の核ミサイルとして理解すると、いろいろな通商現象を整合的に説明することができる。

 1975年以来100件を超える301条事件の中で、実際に措置(action)がとられたのが10件、といっても、同一紛争のダブル・カウントや、短期間の脅しや、対ECレモン・パスタ戦争のような措置の撃ち合いなどがほとんどで、真に攻撃的な意味で、長期にわたって発動された措置は日米半導体事件1件だけというのも、核ミサイルは発射されないうちだけ価値があるといわれた抑止の特徴である。

 ちなみに、措置(action)だけでは言葉にしまりがないので、マスコミなどでは「制裁」措置と呼んでいるが、これは誤訳なだけでなく、湾岸戦争のときのイラクなど侵略者に対する制裁(sanction)と同じ用法になって、誤った恐怖感と自責の念を引き起こすのでやめたほうがいい。どうしても何かつけたいのなら、「報復」(retaliation)という抑止用語のほうが本質に近い。

 米国を中心とする国際通商問題は、中期的な季節変動を繰り返しながら、長期的にはひとつのトレンドを示している。1970年代まで通商問題の主役だったダンピング調査が、1980年代には、係争のスケールにおいて、知的財産権の関税法337条調査に席を譲った。このへんの認識にはご異存の向きもあろう。しかし、今年発表された米国国際貿易委員会(ITC)調査によると、米国反ダンピング調査は大部分が鉄鋼案件で、米国にとってはすでに斜陽産業の時間稼ぎ戦略に堕している。

 また、いま、反ダンピング関税の理論的根拠が崩壊している。ダンピングとは国境を越えた価格差別にほかならないのだが、需要の価格弾力性が異なる二つの市場間では価格差が当然生じてしまうので、これを不公正とか非正常とする現在の反ダンピング法は、経済現象を罰していることになる。反ダンピング関税にはもともと経済的な正当性がなかったのである。

 ダンピングを「責められるべきもの」として道徳的に断罪したGATT6条は、もともとは、略奪的意図にもとづく価格差別の抑止を企図したものである。とすると、略奪的意図を要件としない現在の関税法第7篇の反ダンピング法(1979年までは1921年反ダンピング法と呼ばれた)は、はじめからGATT6条違反だったことになる。むしろ、略奪的意図を要件としたため、かえって法の正当手続き(due process of law)がはたらいて実用にならなかった米国1916年反ダンピング法のほうがGATT整合的だったことになる。

 ところが、この1916年法にしても、略奪的価格設定が経済的に不合理な行為であるから、それを主張する側に重い立証責任を負わせるという1986年のNUEゼニス事件米国最高裁判決(2)によって、思想的にはすでに息の根が止められている。この点で、WTO(世界貿易機関)シンガポール閣僚会議で、「貿易と競争」交渉の一環として、米欧反ダンピン法を競争原理に照らして洗い直そうという動きが出たことは絶好のチャンスである。

 反ダンピングに代わって「公正」貿易のチャンピオンになった関税法337条も、米国ウルグアイ・ラウンド協定法によって牙を抜かれた。国際通商に対する337条最悪の側面だった対物一般排除が、それまでの原則から例外の地位に転落したのである。改正のもととなった1989年GATTパネルのAKZO事件裁定もここまでは要求していなかった。

 じつは、今回の改正法の文言は、1992年、USTRの337条改正案に対して日本機械輸出組合が提出したコメントとそっくりである。やはり正しいことははっきりいうのが、みんなのために一番いいのである。

 もちろん、米国の方にも計算があった。ダンピングや337条のような、米国政府が輸入業者を叩く関税法系の受け身のやりかたは、原産地無国籍時代の輸入品に対して費用効果比が悪化してきたのである。代わって、政府対政府の通商法301条が新たな進化を見せている。国家対国家の古典的国際法の時代が復活したのである。

 301条といっても、歴史を緻密に見ていくと、1985年(レーガン政権第2期)を境に、その性格ががらりと変わったことが観察される。1984年以前は、外国政府の不公正行為によって被害を受けている米国企業の救済という受け身の使い方が主だったのが、1985年以後は、米国の輸出企業に門戸を閉ざしている外国市場のドアをこじ開ける攻撃的な梃子(てこ)として使われるようになった。「攻撃的」というのは、米国通商代表(USTR)が議会報告で実際に使った言葉である。事実、1985年以後、それまでの提訴による調査にかわって、USTR による職権調査が急増している。

 1985年は米国通商政策の大きな曲がり角であった。それまでの国内市場保護という内向きの思考から一転して、世界市場の開放というgrand design(偉大な計画)のため、それまで磨きあげてきた冷戦技術を容赦なく使っていこうという十字軍思想である。いま米国を震源地として世界を揺るがせている知的財産権問題などもこの文脈で考えるとわかりやすい。 

1.2.欧州統合と文化・農業問題 

 「抑止」は西部開拓時代に起源をもつ米国独特の精神構造だが、ECも米国通商法301条との対抗上、理事会規則2641/84という通商戦略兵器を持っていた(ウルグアイ・ラウンド後は3286/94に移行)。しかし、実際に措置を発動したのは1980年代のいわゆる米欧レモン・パスタ戦争のときだけで、ウルグアイ・ラウンド米欧農業交渉の代理戦争となった1992年の油糧種子問題では、米国が通商法301条措置発動の脅しをエスカレートしていったのに対して、ECは報復措置の準備すらしなかった。独自の核抑止思想を持つフランスの強硬論はEC委員会のなかで完全に孤立していた(3)

 レモン・パスタ問題で共倒れ通商戦争の不毛さを知ったECは、油糧種子事件では、米国通商法の一方的措置そのものに対する批判に全力を集中し、結局、EC共通農業政策(CAP)の大幅緩和とひきかえに、ネガティブ・コンセンサスによるWTO紛争解決システムを勝ち取った。ECの通商思想は、米国のような冷戦論理にもとづいていないのである。「抑止」は一方的な戦略ではなく、紛争の双方がそれにしたがうことを認めた暗黙のルールなのだが、この点で、油糧種子問題は、米国にとって勝手のちがう戦いになった。

 ECの通商思想を端的にいえば、「文化」を通しての「統合」である。自然言語の統一はとうてい不可能だから、せめてデータ通信プロトコルは統一しようとしている。1984年対IBMアンダーテイキング、移動体電話のGSM規格、エスプリ・プロジェクトなどはこの文脈で理解できる。1993年、ウルグアイ・ラウンド末期最大の危機は、域内放送番組の50%以上を域内作品にあてるというEC放送指令に関する米欧衝突であった(いまでも未解決)。この時期、農業問題でも大きな痛手を受けていたフランスは、ウルグアイ・ラウンド脱退の覚悟を固めており、それを察知した米国が深追いを避けたのである。

 ECは、市場統合や通貨統合のもっと先を見つめて、欧州が世界史に誇るその独特の文化(ギリシャからポルトガルにいたる)を、欧州統合の求心力として保護・保存しようとしている。音響映像機材への課徴金問題もこの文脈でならわかる。

 また、欧州文化圏の準会員としてアフリカ諸国にも熱いまなざしを送っているが、ここでも共通言語としての欧語と欧州文化への憧れを保存するため、映画が利用されている。ECの文化政策にとって最大の敵はハリウッドとカラオケである。

 ECにとっていちばん頭の痛い問題は農業である。域内農業を国際価格の変動から隔離することを目的とした共通農業政策(CAP)は、結局は補助金(国内支持と輸出補助金)のばらまきに堕してしまった。

 総人口に対する農民人口比は1960年の21%から1986年の8%へ、GDPに占める農業生産高比は1970年の5.4%から1989年の3.4%へと、いずれもマイノリティ化しつつあったにもかかわらず、1990年の時点では、EC総予算5兆円余の3分の2が農業に投入され、その3分の1が輸出補助金というありさまだった。1996年、スペイン、ポルトガル加盟で農民人口が一気に50%増え、猶予期間が終わる1994以後、これがフルにCAPを受益することになるという、まさに爆発寸前の状況にあった。

 国内支持は生産奨励的性格が強かったため、EC内では森林の農地化・化学肥料依存による環境破壊が進んだ。欧州をひさしぶりに訪れる人は、かつての森林が一面のひまわり(油糧種子)畑に変貌していることに驚くだろう。また、同時に、余剰農産物が輸出補助金つきで海外市場に大量に輸出されて、これに対抗する米国の補助金つき輸出とともに、世界の農業市場を大きく歪曲していた。

 米欧補助金戦争の現実の被害者は食糧輸出国連合のケアンズ・グループ(オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、ブラジル、カナダ、チリー、コロンビア、ハンガリー、インドネシア、マレーシア、フィリッピン、タイ、ウルグアイ、フィジー)だったが、潜在的な被害者は、21世紀世界の多様な食糧供給源として期待されていた熱帯の低開発諸国だった。

 ウルグアイ・ラウンド農業協定は、非関税国境措置の関税化、関税引下げ、国内支持の生産スライド禁止、輸出補助金カットなどかなりの成果をあげたが、それ以上に、農業聖域論という神話を打ち砕いた点で歴史的な意義がある。
 

2.21世紀世界通商レジーム 

 20世紀後半の世界通商システムは、もともと米国が作り出し、維持してきたものだが、1975年頃を境に、その基本構造に大きな変化が観察される。「覇者による安定」から「国際レジームによる協調」への移行である。

 「覇者」米国の退場によって生じる真空と混乱を目前にして、さまざまな利害を持つ先進工業国が、自分の利益をすこしずつ犠牲にして国際レジームを作り、一定の事項に関してその機関決定に従うことに合意した。本来エゴイストである主権国家がこのような「協調」にはいるのは、それが自国にとってのプラスとマイナスを差し引いた上でプラスが残ると判断するからである。

 ハーバード大の国際政治学者ロバート・コヘインは、国際レジームが合理的エゴイストである個々の主権国家にとってもプラスになる場合があるとして、つぎのような例をあげている(4)

 まず情報機能である。たとえばG7による国際通貨協調のように、「協調」仲間内だけでしかアクセスできない情報がレジーム内で交換される。

 つぎが市場の失敗の是正である。自由競争は、理論的には、全体にとってはもちろん、個体にとっても、資源の最適配分と生産量の最大化というメリットをもたらすのだが、現実には、たとえば一括関税引き下げが予想外に利いて、国内産業が崩壊するような場合がある。このような場合、レジームは、一定のセーフガード措置をルール上正当化することによって、一時的に個体の利益を全体の利益に優先させることができる(GATT19条や農業協定のセーフガード措置)。

 つぎが取引きコストの軽減である。たとえば通商紛争における一方的通商措置の撃ち合いなど自分も傷つくような(典型的な抑止の)場合、協調による紛争解決がレジームによって可能になる。

 つぎがいわゆる囚人のジレンマからの脱出である。たとえば関税引き下げや環境改善のような、いいことだとわかっていても自国だけで先にやると損をするような場合、レジームによる調整が渡りに船になることがある。

 つぎが国内政治責任の分散である。たとえばECのCAPや日韓のコメのような内政改革のための外圧としてレジームを利用することがよくおこなわれる。

 つぎが正当性の獲得である。覇者が退場した世界では「力は正義なり」という強引が通用しない。大義名分が必要である。たとえば米欧農業紛争では、いずれも悪名高い米国通商法301条措置とEC農業保護が相討ちになった。

 つぎに安全指向である。たとえば国際環境問題や湾岸戦争の戦費負担など、自国だけで決断できないような問題でも、「赤信号みんなで渡ればこわくない」で予算国会を突破することができる。

 さいごに外部に対する共同行動がある。たとえばTRIPS協定のようなレント(独占による超過利潤)の創出と分配などがそれである(5)

 マイナスは重商主義的フリーハンドの、したがって戦略的行動によるレント獲得機会の喪失である。このような微妙な均衡の上に成立する「国際レジーム」のひとつが世界貿易機関WTOである。この点で、WTOは、米国の覇権によって維持されていたGATT1947とおおきく異なる。

 「協調」というのは一見美しいことばだが、じつはそうではない。強者が弱者を搾取するための組織も、価格カルテル組織も、いずれもここでいう「協調」である。1815年から30年ものあいだ共和主義の復活を圧殺しつづけた神聖同盟などがそのいい例であろう(6)

 国際レジームにおいては、覇者による安定の特徴である「力の支配」のかわりに「機能主義」が前面にでてくる。力の真空のなかでは、ほんらい政治的には無力な事務局が意外な決定権を握ることがある。ウルグアイ・ラウンドでも、1990年末のブリュッセル閣僚会議失敗と湾岸戦争による真空の中から、1991年末のダンケル事務局長私案が生まれ、結局、最終合意を導きだした。

 21世紀初頭の世界通商におけるナショナル・インタレストのための闘争は、好むと好まざるにかかわらず、WTOという闘技場のなかで戦われることになる。国家間の紛争や交渉は、いままでのように米国を中心とした放射状ではなく、WTOという枠内でのマトリックス状になる。

 これは、19世紀初ナポレオンの没落に続くメッテルニッヒ外交、同世紀末大英帝国の退潮に続くビスマルク外交のような、複雑な同盟と裏切りのネットワークである。ここで使われる闘争技術としては、米国のみがまだしばらくは使うことのできる大味な「抑止」と、ウルグアイ・ラウンド農業交渉でのECのような内外をからめた繊細な利害操作(プロパガンダや謀略をふくむ)が並存するだろう。

3.日本企業の対応 

3.1.ナショナル・インタレストの再発見 

 このようなあたらしい「協調」の時代を目前にして、日本「企業」について考える前に、まず日本「国」について考えてみよう。この設問に対しては、すでにいろいろな提言がなされているので、ここでは、いままであまり言われていなかった一点を挙げよう。

 それはナショナル・インタレストである。国際レジームによる「協調」の時代でもナショナル・インタレストはなくならない。逆に、「覇者による安定」のもとでは、ナショナル・インタレストは覇者のおこぼれとして与えられていたのだが、国際レジームの中では、いろいろなベクトルのナショナル・インタレストが噴出してくるので、自国のインタレストについてのしっかりした信念と戦略がないと、「協調」の奔流に押しながされることになる。

 このエッセイの前半で、米欧の通商戦略の歴史を延々と記述してきたのは、それらが、明確に、それぞれのナショナル・インタレストという強靭な筋金で貫かれていることを示したかったからにほかならない。

 日本はどうだったか。たとえばウルグアイ・ラウンドの知的財産権TRIPS交渉を考えてみよう。日本は、米国とともにこれの共同提案国になったのだが、米国流の知的財産権強化がほんとうに日本のナショナル・インタレストに合致するかどうかの議論はまったくなかった。

 いわゆる技術貿易収支では、米国だけが常時大黒字(1994年で170億ドル)、ほかはほとんどが赤字、日本などは万年大赤字(1994年で40億ドル)という極端な逆不均衡状態(7)なのに、知的なものは美しいとか、知的財産権を保護すれば自然に技術が進歩するというような漠然たるムードで動いていた。インドなどの確信反対者がいたにもかかわらず・・である(8)

 覇者米国に追随することが圧倒的なナショナル・インタレストであった時代ならそれでもいいだろうが、今後は状況が変わってくる。

 ここで−−痛恨の念とともに−−思いだされるのが1987年の日米半導体事件である。あのときは、主として日本製パソコンに対する100%関税をふくむ通商法301条措置が発動された(9)のだが、これを301条の歴史とくらべると奇怪な光景が見えてくる。

 前に述べたように、301条というのは脅し(抑止)専門の核ミサイルで、実際にこれが発射されたことはめったにない。深刻をきわめた米欧油糧種子事件でも、脅しの期間が長く、脅しのエスカレーションも手順をつくした丁重なものだった(結局、発動前夜、ブレアハウス合意が成立、措置は発動されなかった)(10)

 これにくらべて、日米半導体事件のときは、業界の必死の努力にもかかわらず、米国は、まるで誰かがシナリオでも書いていたかのように、一直線に措置発動に走った。その時は何が起こっているのかよく分からなかったが、いまになってみると、その結果だけはよくわかる。

 まず、ちょうどそのころ急成長を開始した日本製ラップトップ型パソコン(米国メーカーは液晶が調達できないので対抗不可能だった)の輸出が5年間にわたってストップした。パソコンはテレビやビデオの二の舞にはならなかったのである。

 つぎに、米国商務省と日本各メーカーの間に結ばれたサスペンション・アグリーメントがDRAMの国際価格を高値固定し、日本メーカーも管理貿易による超過利潤の甘い夢にふけっていた間に、それまで姿も見えなかった韓国メーカーが大躍進をとげた。カルテルができていちばんよろこぶのはアウトサイダーだというのは経済学の常識である。おかげでDRAMは恒常的供給過剰・慢性値崩れ状態となり、日韓とも永久プロレタリアの地位に堕ちた。

 これで大笑いしているのは、DRAMの大口買い手である米国の国防省とコンピュータ・メーカーである。そういえば、半導体の商談で彼らがいつも強く要求するのがいわゆるセカンド・ソースの確保である。その狙いは、もちろん、売り手の独占を破って、供給量を増やし、価格を引き下げることにある。こんなことを国単位で発想するところに、米国の本物の戦略思想がある。

 半導体協定によって日米ハイテク産業の正面衝突を避けることが、その時点での日本のナショナル・インタレストだったという人がいるかもしれない。しかし、かりにそうだとしても、長期的には管理貿易をその手段としたことが責められなければならない。

 日米半導体事件が米国通商当局の謀略だったかどうか私にはなんともいえない。しかし、ポスト冷戦時代には、失業した本物の戦略家たちがビジネスマンに身を落とし、また、きたるべき「協調」の時代には、おもての通商戦争が抑制される一方、ナショナル・インタレストのエネルギーが謀略に流れこんで、それが日常化する。

 21世紀になっても、主権国家間の通商摩擦が、そして競争が、闘争であることにかわりはない。闘争が、WTOという枠の中で、その枠を逆に利用しつつ闘われる点が、重商主義時代やブロッキズム時代や覇権安定時代と違うだけである。 

3.2.日本企業の対応 

 このような国際状況のもとで、日本企業はどう対応したらいいのだろうか。まず、何よりも先に、コーポレート・インタレストがナショナル・インタレストと一体化しつつあるという現実を直視する必要がある。

 1年間従業員全員が必死になって原価低減をすすめ、リストラで苦しみながらやっと出してきた利益が、すこし円高になっただけでふっとんでしまう。逆に無能な経営者が土地バブルや円安に救われる。半導体メモリーは、個々の企業努力ではどうしようもないシリコン・サイクルの輪廻のなかにとじこめられている。

 いまをときめくインテルやマイクロソフトも例外ではない。1歩でも先発した者が決定的に有利になるいわゆる情報ロックインという輪廻の、たまたま受益者にすぎない。いずれも、プログラムの著作権保護という、まことに人工的な一片の法律の上にすべての命運がかかっている。

 経済と政治が一体化しつつある、そんな事業環境に私たちは住んでいる。米国自動車業界が息を吹き返したのがほんとうに自助努力だと思っている人はいないだろう。一昨年の日米自動車問題、昨年の日米半導体問題いずれもナショナル・インタレストとコーポレート・インタレストが癒合したかたちではじまり、なんとか一時休戦でほっとしているところである。

 1986年、ウルグアイ・ラウンドをスタートさせたプンタデルエステ閣僚会議では、現地のホテルは米国企業の代表者で満室だった。また、ウルグアイ・ラウンドでTRIPS交渉を推進したのは、じつは米欧日民間3極会議(日本では経団連の知的財産委員会)だった。さらに、昨年11月のマニラAPEC総会も米国ビジネスマンでいっぱいで、そこでできたスービック宣言は、ビジネスの「中心的役割」を強調している。

 企業と国家、そして世界の距離がひどく短くなっている。こんなときこそコーポレート・ナショナル・インタレストの明確な自己認識が必要である。

 この点で、いまの日本企業が、みんながやるからというので、ほとんど盲目的にのめりこんでいったいわゆるグローカライゼーション(販売から製造まで、研究から開発まで、財務から法務まで−−経営そのものまで−−現地人化してしまう、短期的利益本位の経営手法)は、そろそろ限界にきている。資本だけ外国へ逃げても、人はつれていけないのだ。技術や経営ノウハウの海外逃避がはじまっている。製造業の従業者数が減った分をサービス業が吸収できないで、失業が増大し、消費需要が、したがって資本形成がだめになりつつある。ナショナル・インタレストの「ナショナル」とは「国民の」という意味である。国民を離れて資本はない。資本には 国籍があるのだ。

 製造業がだめになっても、みんなゲームソフトやアダルトビデオやサラ金(いずれも最近の高収益業種)に転業して食べていけるという幼稚なオプチミズムが幅を利かしているようだが、これこそ日本経済の−−ということは日本企業の−−精神的な衰弱と矮小化の兆候であろう。いくら情報化時代になっても、だれかが鉱石を掘り、小麦を作り、機械を作らなければならない。みんなが転業してしまえば、残った者の収益性が向上する。

 高コスト体質なのは日本産業全体の平均なのであって、ハイテク製造業は、それが生みだしている高い付加価値と比較すれば、すくなくとも労働コストにおいては、すでにギリギリまで下げきっている。問題は規制や横並び体質のために市場が十分機能していないため間接コストが高いことだ。日本のナショナル・インタレストとは自由な市場経済の貫徹にほかならない。

 企業が高コストから逃げ回って世界中をホッピングして歩く余地はもうすぐなくなる。日本企業が、国民の利益と一体となって戦略的に行動するときがきている。デタントは長続きしない。企業は、日本に根をすえて、そこで生きてゆく日本人と運命をともにする覚悟が必要ではないか。 

. 本間忠良『ウルグアイ・ラウンドが世界貿易を変えたーー国際通商問題の軌跡とWTOの創設(第2版)』(中央経済社、1995年)。

. 本間忠良「略奪と競争−−ゼニス対松下米国最高裁判決をめぐって」、松下教授還暦記念論文集『企業行動と法』(商事法務研究会、1995年3月)。

. 本間忠良「危機と破局−−米欧農業紛争に見る冷戦ゲームの止揚」、松田幹夫編『流動する国際関係の法』(国際書院、1997年8月)。

. Robert O. Keohane, AFTER HEGEMONY--COOPERATION AND DISCORD IN THE WORLD POLITICAL ECONOMY (Princeton University Press, Princeton, New Jersey, 1984).

. 本間忠良「TRIPS協定の特異性−−レントの創出と分配のシステム」、『関税と貿易』(日本関税協会、1997年2月)。

. 本間忠良「TRIPS協定がめざす21世紀世界像」、『日本国際経済法学会年報』(1996年10月)。

. 本間忠良「TRIPS協定の特異性」前掲。

. 本間忠良「TRIPS協定がめざす21世紀世界像」前掲。

. 本間忠良「ウルグアイ・ラウンドが世界貿易を変えた」前掲。

10.本間忠良「危機と破局」前掲。