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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略

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経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act  Exercise 60 Cases

情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution

論文とエッセイ(日本語)Theses and Essays

 

  

TRIPS協定がめざす21世紀世界像

『日本国際経済法学会年報』(1996年10月)

本間忠良 

1.はじめに
2.TRIPS交渉の推移
2.1.基本的枠組み
2.2.プロパテントの論理
2.3.アンチパテントの論理
2.4.収束への動き
3.TRIPS協定がめざす国際経済倫理レジーム
3.1.協定のイデオロギー的位置づけ
3.2.スタンダード
3.3.エンフォースメント
3.4.通商的視点
3.5.レジームの内部分裂
4.おわりに
4.1.歴史的視点
4.2.プロパテント再論
4.3.アンチパテント再論

  

1.はじめに 

 GATT8回目の多角的貿易交渉ウルグアイ・ラウンドは、1986年9月プンタデルエステ(ウルグアイ)閣僚宣言のマンデートにもとづいて翌1987年スタート、交渉期間4年の予定を延長して、実際には7年目の1993年12月、代表団レベルの合意で閉幕した。合意は、1994年4月15日、マラケシュ(モロッコ)閣僚会議で、「世界貿易機関を設立するマラケシュ協定(「WTO協定」)」として調印され、主要国の国内受容手続きを経て、1995年1月発効した。

 本稿は、WTO協定附属書1C「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(「TRIPS協定」)(1)に至るウルグアイ・ラウンド交渉の推移と協定内容を、とくに、知的財産権とは何か、知的財産権をなぜ保護するかという根源的な争点を中心に記述するものである。

 

2.交渉の推移(2)

2.1.基本的枠組み

 1986年9月のプンタデルエステ閣僚会議では、米国と日本が、交渉アイテム新分野のひとつとして、知的財産権の保護強化を共同提案した。これはインドやブラジルをはじめとする途上国・低開発国グループからの猛反対に遭ったらしい。

 知的財産権交渉の閣僚宣言(マンデート)米日案は次のようなものだったらしい。「知的財産権の適正かつ効果的な保護の欠如による国際貿易の歪曲や障害を軽減するため、交渉は次のことをめざす。−−知的財産権問題に関する現行の国際基準のより効果的かつ一般的な適用を促進する。−−知的財産権を執行する措置および手続きがそれ自体正当な貿易の障害にならないようにする。−−以上の事項に関する規則および規律(descipline)を明確化し精密化する(以下略)」。

 閣僚会議で難航の末やっと成立した閣僚宣言TRIPS編は次のようになった。「国際貿易に対する歪曲および障害を軽減するため、また、知的財産権の効果的かつ適正な保護の促進の必要性を考慮しつつ、知的財産権を執行する措置および手続きがそれ自体正当な貿易の障害にならないようにするため、交渉はGATT規定を明確化し、適切な場合には新しい規則および規律の作成をめざす。(以下略)」。

 成案では、まず、知的財産権保護の欠如が国際通商歪曲の原因になっているという米日案の認識が否定されている。つぎに、交渉の目的として、「国際貿易に対する歪曲および障害を軽減すること」、および、「知的財産権の執行措置および手続きがそれ自体正当な貿易の障害にならないようにすること」というふたつの自由貿易主義テーゼが、知的財産権保護より高次の目的として位置づけられている。 

2.2.プロパテントの論理

 交渉開始から2年間は、知的財産権の実体的保護基準(スタンダード)の確立をめざす米国と、プンタデルエステ・マンデートをたてにとって、ウルグアイ・ラウンドでは現行GATT規定の運用だけを交渉すればいいと主張するインド・ブラジルなどが対立、交渉は麻痺状態になった(「GATT-ability」問題)。

 1987年秋、米国、スイス、日本、ECが方針案を提出した。これらは、おおむね、知的財産の実体的保護基準を定めるいわゆるスタンダード編(用語としては、合意の基本的性格の変化を反映して、当初の「norm」から「minimum standard」へ、そして「standard」へと変化してきた(3)が、本稿では「スタンダード」に統一する)と、知的財産保護を担保する手続法の基準を定めるいわゆるエンフォースメント(enforcement)編を中核とするものであった。中でも米国提案は、スタンダードとエンフォースメントの双方を対象に、知的財産保護のマキシマリスト的立場から書かれており、骨抜きになったプンタデルエステ・マンデートの巻き返しを狙ったものであった。

 WIPOでの「討論と説得」ペースを嫌って、「力と駆け引き」が支配するGATTを「闘技場」(4)として選んだ米国の1987年10月提案は次のようにいう。「知的財産権は革新と知的創作を促進する。それらの保護と執行は、国際通商・投資・経済発展・技術拡散のため必須である。・・適正な国際的規律(norm)と効果的な国際的執行手段の欠如は、通商歪曲と協定譲許侵害の主要な原因である」。また、1990年5月米国リーガル・テキスト案は、「通商歪曲を軽減するため知的財産を保護する」という基本姿勢を崩さないまま、新しい争点として、著作権と商標権にもとづく並行輸入禁止を初めて明確な形で提案した。国論が割れていた並行輸入問題が、1988年連邦最高裁のカルチエ判決 486 US 281 (1988) で一応の決着を見たことの反映であろう。

 知的財産権とは何か、知的財産権をなぜ保護するかという根源的な問いかけに対して、米国通商代表は、終始、知的財産権を保護すれば産業技術が促進されるというドグマで答え、インドがしかけてきたイデオロギー的挑発(後述)に乗らなかった。これは実利と妥協で動くGATT系の交渉としては当然の態度なのだが、実は、この答えの底には、知的財産と一般の有体財産を同一視する米国独特の知的財産物神論がある。

 米国特許法261条は、「特許は、本法の諸規定に従い、私的財産の性質を有する」とやや及び腰で規定するが、1983年の連邦巡回控訴裁判決はそれを極限まで拡張して次のようにいう。「制定法によれば、特許は財産である」。「特許権は他人を排除する権利に他ならず、定義によって財産である」。「特許に代表される財産権は、他の財産権同様、反トラスト法違反の企図で使うことができる」。「当初の特許法よりはるか後に制定された反トラスト法は、他人の財産の運用を対象とする」。「有効な特許は、公衆にそれまで持っていなかったものを与える」(5)

 これを受けた米国司法省の知的財産ライセンシング・ガイドラインも次のようにいう。「知的財産諸法と反トラスト諸法は技術革新を促進し、消費者厚生を高めるという共通の目的を有する。知的財産諸法は、新規かつ有用な製品、より効率的な方法、オリジナルな表現作品の創出者のため執行可能な財産権を確立することによって、技術革新・拡散・商品化へのインセンティヴを与える」。「反トラスト分析の目的上、司法省(と連邦取引委員会)は、知的財産を他のすべての形態の財産と本質的にコンパラブルなものとみなす。・・といってもそれは知的財産がすべての点で他の形態の財産と同じだといっているのではない。知的財産は盗用が容易だという点などで、他の多くの形態の財産と区別される特質を持つ。・・知的財産所有者の排他権は他の私的財産所有者が享受する諸権利と同一のものである」(6)。 

2.3.アンチパテントの論理

 交渉3年目に入った1989年4月、ウルグアイ・ラウンド貿易交渉委員会(TNC)で、スタンダード交渉を頑強にボイコットしていた途上国グループがついに折れた。「合意実施のありかた(GATT-ability)をラウンド最終段階で決定する」という条件で、実質交渉のテーブルにつくことに同意したのである。この時点で途上国グループがボイコットを断念した理由はあきらかである。前年の1988年8月成立した米国包括通商競争力法中のいわゆるスペシャル301条(知的財産権保護不十分国を指名して短期調査をかけ、報復措置をとる)という米国のあたらしい一方的措置の脅しに屈伏したのである。

 それでもなお、交渉の前途は楽観を許さなかった。やっと交渉のテーブルについた途上国グループが、知的財産権とは何か、知的財産権をなぜ保護するかという根源的な争点のレベルで、イデオロギー論争をしかけてきたのである。

 1989年7月のインド提案は、知的財産についての最左翼的見地から書かれており、冗談でIntellectual Property Left といわれたものである。「知的財産権の通商的側面とは、知的財産所有者による制限的・反競争的慣行に他ならない。なぜなら、知的財産権はそれ自体国際通商を歪曲し、阻害するからだ」。「TNC決定にもあるとおり、本主題に関する議論は、各国知的財産法の底にある、発展および技術的目的をふくむ公共政策目的によって導かれるべきだ」。「知的財産システムの本質はその独占的・制限的性格にある」。「ある国の経済・産業・技術的発展と、そこでの特許保護の程度のあいだには密接な相関関係がある。現在の工業国の多くも、彼らの決定的な発展段階においては、重要な産業セクターで、特許制度を持っていなかったか、もしくは弱い特許保護しか持っていなかった」。

 「多くの経済学者が、次のような理由で、特許システムが発明やR&D投資のために必須だという仮説自体に疑問をいだいている。第1に、特許システムを重要だと考えている産業セクターは少ないし、重要だと考えている場合でも、特許取得の動機は、他社が短期間に同様の発見・発明をするのではないかという懸念であることが多い。第2に、R&D投資や技術革新は、・・特許システムが重要だと考えられていない多くの産業でも起こっている。第三に、多くの産業が、特許システムがあろうとなかろうと、技術的リードと市場での地位を維持するために、R&D投資をおこなっている。最後に、特許がとれた場合でも、その特許開示によって他人が特許発明を実施することを阻止するために、特許実施に必要なノウハウが秘匿されていることが多い」。

 「製品特許は、より効率的・経済的な方法の発見を抑止する」。「方法特許は、その方法の使用のみに及ぶべきものであって、その方法によって製造された製品にまで及ぶべきではない」。「特許権者によって課される制限的・反競争的条件は多いが、つぎのものが典型である:ライセンサーからの部品購買義務、輸出禁止、競合技術使用禁止、製造・販売量・価格制限、契約満了後の製造禁止、ライセンシー間の競争禁止、改良技術の売り戻し強制、パッケージ・ライセンス、特許ライセンス契約による市場分割」。

 インドGATT大使はいう。「医薬品の単価が特許権保護で上がれば、支払い能力のない一般の人は買えなくなる。・・死者が何人増えるかわからないが、福祉のレベルはまちがいなく落ちる」(7)。 

2.4.スペシャル301条と収束への動き

 1989年に入ると、プロパテントの米国案とアンチパテントのインド案という両極端の間にさまざまの色調を持つ中間的な提案が出現し、その中で、いかにもGATTらしく、イデオロギー論議を避けた実務的なものがしだいに主流を占めてくる。

 1989年秋の日本提案は、最恵国待遇、内国民待遇、一方的通商報復措置の禁止を提案したものだったらしい。この3点は最終的に成案に採用されたもので、日本の大きな国際貢献といえよう(8)

 ECの諸提案は内容的には穏健なものだが、時を追うにつれて米国の一方的通商措置に対する批判がエスカレートしてくる。1989年11月リーガル・テキスト案(9)は、 「TRIPS加盟国は、協定にカバーされる事項に関して、いかなる一方的措置にも訴えないことを、明示で約束すべきだ」と、はげしい。「一方的措置をやらないという約束のコロラリーとして、多角的紛争解決メカニズムが必要」と、価値の順序が逆転している。これは、それまで長い間くすぶっていた米欧農業紛争が、この2年間に一気に火を吹き、まずホルモン畜肉事件で米国が通商法301条報復を発動(1989年1月)、油糧種子のノン・ヴァイオレーション・ケース(1989年11月GATTパネルがクロ報告)で報復寸前という状況を反映した変化であった。

 1990年12月ブリュッセル(ベルギー)閣僚会議は、予定ではウルグアイ・ラウンド合意の最終チャンスだったが、EC、日本、韓国の反対で農業分野の合意が得られず、せっかく合意ずみの分野もふくめ、すべて流れてしまった。

 ラウンドは1991年春延長再開されたが、マルチ交渉が麻痺状態と見た米国通商代表は、4月、通商法スペシャル301条にもとづき、はじめて、優先対策外国としてインド、タイ、中国を指名、ウルグアイ・ラウンドの成否にかかわらず、米国の知的財産通商政策を実力で遂行する決意を見せた。

 

参考:スペシャル 301条優先対策国:( )は予告だけで実施せず。

1989

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

指名なし  

指名なし  

インド    

インド    

インド    

(インド) 

指名なし  

タイ

タイ

タイ

(アルゼンチン)

中国

台湾

ブラジル

中国

中国    

 

 この中で、米国型の知的財産保護強化に対する確信反対者インドが、しずかに舞台からしりぞいてゆく。スペシャル 301条の調査期限が切れる1991年10月、ヒルズ米国通商代表がインドを訪問、報復延期をほのめかしている。事実、報復は3か月延期され、さらに、結局見送りとなる。この1991年末、米国-インド間に取り引き(たぶん知的財産権と繊維)があったことが、報道から読みとれる(10)

 1991年12月の「ウルグアイ・ラウンド最終協定案」(俗に「ドンケル・ペーパー」と呼ばれる)、とくにその知的財産権付属書は、ウルグアイ・ラウンドの優等生といわれる知的財産権交渉の進捗を反映して、単なる「案」というより、ほとんど最終合意に近いところまできている(11)

 1992年、ラウンドそのものは、深刻な米欧農業紛争を中心に回転しており、知的財産権問題は渦心から遠い位置にあった。知的財産権問題は、実質的には前年のドンケル・ペーパーですでに収束していたのである。

 1992年4月、米国はスペシャル301条優先対策国としてインド、タイ(以上再指名)、台湾(新規)を指名したが、1992年10月タイに対しては報復延期を決定した。1992年は、米国では大統領選挙、ECでは主要加盟国でマーストリヒト条約の国民投票があり、国内むけの政治エネルギーが国際問題を動かしやすい環境にあった。米欧の国内状況を反映して、ドンケル・ペーパーに対する批判も、この時点では、米国映画産業による音声映像(AV)記録機材課徴金の内国民待遇や、医薬品産業による医薬品特許パイプライン保護など、個別業界問題にまで矮小化している(12)

 1993年は市場アクセス交渉(GATT本来の任務であるモノ貿易障壁、とくに関税の低減交渉)がメインで、知的財産権に関する動きはほとんど見られない(といっても重要なものがあり、後述する)。

 1993年12月15日、多角的通商交渉ウルグアイ・ラウンド最終協定が、ついに代表団レベルで合意された(13)。交渉開始以来、実に7年ぶりである。

 

3.TRIPS協定がめざす国際経済倫理レジーム

3.1.TRIPS協定のイデオロギー的位置づけ

 TRIPS協定前文は、まず、知的財産権の執行のための措置および手続きそれ自体が、正当な貿易の障壁にならないようにするという加盟国の希望を述べている。これは、知的財産の保護不十分が通商歪曲の原因になっているとする米日側の認識をくつがえし、両者がすくなくとも中立関係にあるとしたプンタデルエステ閣僚宣言の文言(前述)を確認したものである。次に、知的財産権が私権であることを認識すると同時に、それの底流にある公共政策目的をも認識するとして、プロパテント派とアンチパテント派双方の顔を立てた形で、しかも知的財産権の本質に関する歴史的なイデオロギー論争には深入りしない。しかし、これは表向きだけであって、合意の内容は、あくまでも西欧的財産権(スタンダード)とその執行システム (エンフォースメント)の確立に大きく傾いている。途上国・低開発国には一定の猶予期間が認められている。 

3.2.スタンダード

 TRIPS協定は、著作権を情報化社会の基盤的財産権として位置づけた。コンピュータ・プログラムは文芸著作物(literary works)として保護される(10条。したがって、文芸著作物の判例原則である「全般的概念と感じ」の類似で侵害が推定され、コンピュータのアーキテクチャー(アイデア)に近いところまで著作権が踏みこむ)。そのかわり、日本などの主張で、アイデア不保護の確認が入った(9条)。議論のあった頒布権は、プログラム著作物では無条件で、ビデオなど映画著作物では権利者側の被害立証を条件として、CDでは制度既存国(日本やスイス)を除いて、排他的貸与権を認めることになった(11条、14条)。

 商標、地理的表示、工業デザインについては、先進国のトップ・レベルに揃えたこと以外、通商的視点からは特筆すべきことはない。

 特許は米国の圧勝である。まず、社会政策的視点から大議論があった「特許主題」(前述インド提案参照)は、物質・方法をふくむ全分野ということになった(27条)。したがって、従来、途上国で特許主題となっていなかった医薬品の物質特許が特許の対象となり、製法のいかんを問わず、特許で最終製品をおさえることができるようになる。また、これによって特許によるソフトウエア保護の道が大きく開かれた。倫理的な視点から大議論があった生物特許問題は、微生物や微生物方法までを特許主題にふくめるという妥協で落ち着いた(4年後見直し)。

 通商的視点から重要なことは、著作権を除き、特許権侵害行為として輸入が明記されたことである(28条)。国家法である特許法によって、その領土内での製造・販売・使用に対する権利行使が許されるのは当然だが、米国関税法337条や税関規則133条のような水際法ではなく、特許法の効力として、輸入差止めが許されるかどうかについては、とくに特許法に輸入権の明文を欠いていた米国で争われていたところである。これによって米国における特許権ベースの並行輸入阻止への動きにはずみがつくことになろう。

 特許保護期間は「出願からすくなくとも20年」となった(33条)。これで、医薬品などを中心に短い特許期間を定めていた途上国をふくめて20年に揃うことになる(米国では再延長の動きがある)。

 半導体集積回路配置では、日米いずれにもすでにある輸入権を確認、おなじく組込品に対する権利を確認した(36条)。これにもとづいて、日本では侵害チップと同組込品の税関差止め体制(水際法)を構築した(米国では反対が強く断念)。保護期間はワシントン集積回路条約の8年を上回る10年となった(38条)。

 「未開示情報保護」というのはいわゆるトレード・シークレット(日本法では「営業秘密」)のことで、すくなくとも契約違反など、正直な商慣習に反する態様の秘密情報開示・取得・使用を排除することになった(39条)。この要件はパリ条約10条2を援用したもの(14)だが、日本は不正競争防止法改正(1991年)ですでにこの条件を満たしている。これはどう考えても、対世的な差止請求権を中核とする知的財産「権」といえるものではないが、便宜上ここに入っているのであろう。

 最後に、同じくここには場違いな知的財産権ライセンス契約における濫用・反競争的慣行の3類型(排他的グラントバック、不争義務、パッケージ・ライセンス)の例示が入った(40条)。これは任意規定でもあり、今の段階では、前述のインド提案に対するリップ・サービスであろうが、実は、情報化時代における知的商品市場のインフラストラクチャーという視点から避けて通れない問題なのであって、TRIPS交渉グループがこの程度の認識しか持たなかったことは残念である。次回と噂される「競争と貿易」ラウンドで、並行輸入問題とともに、議論をつめなければなるまい。 

3.3.エンフォースメント

 従来の知的財産権諸条約は、実体基準のみ規定し、権利行使手続きについては各国訴訟法にゆだねていたが、今回のTRIPS協定は、実体規範の「スタンダード」を手続き面からも担保するため、知的財産権の行使に関して、各国民事訴訟および行政手続きの基準を定め、それを強制力によって確保しようという画期的な試みである。TRIPS協定第3部は、民事、行政および国境措置の手続きと救済の基準を詳細に規定するが、知的財産権侵害の疑いある物品を税関で留置することを許す第4項国境措置(水際法)は、通商的視点からとくに重要である。知的財産権といっても、ここでは、商標および著作(隣接)権侵害品(「不正商品」)と、不正商品以外の知的財産権侵害品をはっきり分けて規定している。TRIPS協定がとくに重い水際措置を要求している不正商品とは、一般には俗にいうニセモノと海賊版のことだが、後者にコンピュータ・プログラムを含ませた点が、著作権法における新しい判例動向の結果である(前述)。税関職員が見れば分かるニセモノならともかく、著作権侵害の有無が専門家にも分からない(したがって司法裁判による有権的判断を必要とする)コンピュータ・プ ログラムを、税関レベルの判断で留置させるところに、いわゆる情報化社会の基盤的弱点−−大金をかけて開発したソフトウエアが簡単にコピーされて無に帰してしまうという状況−−に対する法の過敏な反応が見られる。 

3.4.通商的視点

 TRIPS協定スタンダード編の実体的保護基準は、実は西欧先進諸国のトップ・レベルを集積したものに他ならないのであって、これだけなら既存の知的財産権諸条約(の延長)でもできたはずである。TRIPS協定の成果は、だから、実体規定そのものにあるのではなく、それらをWTOの紛争解決手続きを介して強制できるシステムを実現した点にある。TRIPS協定を、知的財産権保護という視点でなく、自由な国際通商の促進という視点で見ると、いささか違った光景が見えてくる。

 TRIPS協定のなかで最も重要な規定は4条「最恵国待遇」であろう。これは、知的財産権諸条約にはなく、TRIPS協定で初めて現れたものだが、1986年、韓国が、米国通商法301条の圧力下で、米国人発明に限って医薬品の物質特許を認めたような、知的財産権を利用した経済ブロックの形成を未然に防ぐという重要な自由貿易促進効果がある。最恵国待遇はもともとGATTの最高規範であるが、それをモノ貿易だけでなく、サービス貿易や知的財産権にまで及ぼしたところにWTOの革命性がある。

 TRIPS交渉で最も紛糾し、結局最終合意に至らなかった争点のひとつが並行輸入問題(知的財産法の用語では「消尽問題」)である。6条は「本協定にもとづく紛争解決の目的上、本協定3条および4条を除くいかなる条項も消尽問題には適用されない」と規定、要するに、知的財産権を利用した並行輸入制限(世界市場の私的分割)に関するWTOの紛争解決手続きにおいて、内国民待遇と最恵国待遇以外のTRIPS協定が援用できないということである。消尽問題に適用される可能性のある規定というと、16条の商標使用権、28条の特許製品輸入権、36条の集積回路輸入権だから、外国で権利者またはライセンシーによって市場に置かれた物品の輸入を妨げる措置(並行輸入制限)が、WTOパネルや常設上級委員会で争われた場合、被告(並行輸入制限措置をおこなった輸入国)側がこれらの規定を援用できない一方、原告(輸出国)側は、内国民待遇や最恵国待遇、さらにはGATT11条の数量制限禁止が援用できるので、この結果は輸出国グループやや有利な分かれといってよい(15)。ここでも、TRIPS協定は、通商的視点を知的財産権保護の視点より優先さ せたのである。 

3.5.レジームの内部分裂

 協定64条「紛争解決」1項は、まず、TRIPS協定違反について、GATT1994の22、23条とウルグアイ・ラウンド協定付属書2「紛争解決規則手続きに関する了解(DSU)」からなるWTOの紛争解決システムが適用されるという原則を確認している。ここまでは問題がない。

 問題は、64条2項が、協定違反には至らないが、協定上の利益が無効化・侵害されていることを原因とする紛争(いわゆるノン・ヴァイオレーション・ケース)を、5年間、 WTOの紛争解決システムからはずしてしまったことである。したがって、その間、この種の紛争については、 WTO提訴ができないし、また、一方的措置も禁止されていない。64条3項によると、その間、TRIPS理事会がノン・ヴァイオレーション提訴の実態にもとづいてWTO閣僚会議に勧告をおこなうが、この勧告および期間延長については閣僚会議がコンセンサスで採決することになっており、場合によっては、ノン・ヴァイオレーション・ケースのWTO落ちが事実上永久的なものになる可能性がある。

 そもそも、今回のウルグアイ・ラウンド全体の中心的成果は、知的財産権やダンピングなどの片々たる合意よりも、一方的報復措置の禁止とネガティブ・コンセンサスによる強力な紛争解決システムにあったのだが、 TRIPS協定は、知的財産権に関するかぎり、この成果を半減させてしまった。TRIPS交渉団が、最後の瞬間になって、なぜ、突然、ほかの協定に類例のないこのような選択をしたのかは、公開情報からはよくわからない。先進国側、とくに米国内にもとからあった「自由貿易促進のための知的財産保護」派と「知的財産保護のための知的財産保護」派の間の緊張関係が、交渉大詰めというきわどい修羅場で、大きく揺れ動いた結果であろうか(16)

 

4.おわりに

4.1.歴史的視点

 プンタデルエステからマラケシュへ、2回の閣僚会議のあいだに7年半の月日が流れ、その間に、世界は大きく変わった。そのなかでもいちばん大きな変化は、1990年10月東ドイツ、ついで1991年12月ソ連の消滅であろう。米国とソ連のあいだに45年にわたって存在してきた冷戦下での相対的安定が一瞬に消え、世界は次なる均衡を模索している。知的財産権というささやかな専門分野とは一見ほど遠いこれら世界の動きが、実はTRIPS交渉に強いインパクトを与えている。TRIPS交渉が、ちょうどこの時期、一気に収束にむかったことは偶然ではない。社会主義経済体制だけでなく、そのイデオロギーもともに崩壊したのである。知的財産権とは何か、知的財産権をなぜ保護するかという根源的な論争も、私有財産制を基礎とする市場経済側の勝利に帰した。冷戦の終結とともに、紛争解決システムも「力の論理」から「法の支配」へと移行しつつある。「覇権のあと」(17)に現れるとされる「制度主義(Institutionalism)」が、ドンケル・ペーパーに仲裁裁定的な力を与えた。

 ウルグアイ・ラウンド協定の全体を見るに、モノやサービス貿易自由化のための具体的な諸制度のなかにあって、 TRIPS協定の倫理性・理念性はやはりまだまだ異質に見える。交渉初期の米国案やインド案のぎらぎらしたイデオロギーは、最終協定の中には痕跡程度しか残っていないが、それでも、TRIPS協定は、GATTのモノ指向、実務性、無道徳性から、あまりに遠いところにある。

 TRIPS協定の目的が、単にコンピュータ・プログラムやAVソフトの貿易促進だというならば、それはそれでモノの GATT1994やサービスのGATSと同レベルにあるし、また、交渉中ほとんどの日本側関係者が信じていたように、単にWIPO特許ハーモナイゼーション条約交渉の身代わりだというならば、それもそれで簡単に理解できるのだが、できあがったTRIPS協定は、そのいずれをもはるかに超えている。 

4.2.プロパテント再論(18)

 それではTRIPS交渉とはいったいなんだったのだろうか。いま世界貿易の舞台にアジアや旧社会主義圏、いずれはアフリカ諸国という異質なプレーヤーが登場してくるにおよんで、従来の大西洋貿易では自明だった倫理規範が失われつつあると考えた米国が、(知的)財産権の神聖化と due process of law を中核とする西欧的倫理規範を21世紀世界貿易体制へ移植しようとしているのである。今後、「知的財産権」を先頭に、「人権」や「環境」など、いままで貿易マンにとってなじみの薄かった倫理的・理念的要素が、通商の世界にどんどん入りこんでくるだろう。

 ロバート・コヘインは、1984年の著作の中で、第2次大戦後における西側先進国間の関係が、1970年ごろを境として、米国の覇権による安定から、制度主義を基調とする協調関係へと変化してきたことを指摘し、「合理的エゴイスト」である主権国家があえて協調を求める動機として、取引コスト軽減、情報拡散、リスク分散、失敗市場補完などを挙げる(19)。WTOの成立は、かかる歴史的文脈の中で、最もよく理解することができる。

 また、コヘインは、国際レジームの最も根源的な制度(institution)のひとつとして財産権の画定をあげている(20)。コヘインがここで知的財産権まで視野におさめていたかどうかはさだかではない(もっとも、同書出版の2年前に、レーガン大統領の有名な知的財産権演説があり、また、ウルグアイ・ラウンド準備委員会が始まっているというタイミングから判断して、コヘインが知的財産権問題に無関心だったとも思われない)が、いずれにせよ、10年後、情報化時代の財産権がTRIPS協定のスタンダード編として国際的に確立した。

 TRIPS協定をポスト冷戦時代の基盤的財産権レジームとする仮説は、同じプロパテント陣営に属するといっても、前述した米国提案や司法省ガイドラインの非科学的な知的財産物神論(21)より、はるかに論理的な一貫性があり、歴史の検証にも耐える。 

4.3.アンチパテント再論

 TRIPS協定によって規定された国際経済倫理レジームは今後どこへ向かうのだろうか。コヘイン自身、先進国間の協調が必ずしも善性(benign)でない可能性があることを指摘し(22)、これが途上国や低開発国を搾取するものであれば反対するという立場をとる(23)。他方、一度は覇者の座を降りかけた米国が、あたらしい情報化時代で、通商法スペシャル301条というムチを持つ経済的覇者としての復活を企図している可能性がある(24)。周知のように、いわゆる技術貿易収支においては、米国のみが年2兆円近い黒字、ほかの先進国はほとんどが常時赤字、とくに日本は年5千億円の赤字である(25)。知的財産権は米国最強の輸出品なのである。米国は、TRIPS協定によって、短期的には技術貿易収支の黒字確保、長期的には21世紀世界貿易における倫理レジームの確立という二重の目的を達成した。

 しかし、ある倫理レジームが技術・経済の発展に逆行し、消費者厚生に反するものであれば、それは、結局、多大の錯誤コストを残して消滅するだろう・・かつての神聖同盟がそうだったように。現在、米国の、したがってTRIPS協定の著作権レジームは、マルチメディアやインターネットに象徴される情報化技術の急進によって危機に瀕している。ユーザーによるオンラインでの複製・改変行為に対して、著作権の執行が事実上不可能になっているのだ。課徴金、複製抑止装置、地域コードなども決め手にはならない。いずれもハードウエア・メーカー(これが急速にアジア全域に展開しつつある)の協力がなければ実現しない。

 特許権でも同様の現象が進行中である。ソフトウエア特許の出現と均等論の盛行によって、アジアの製造業から、米国の発明家などの非製造セクターへの大規模な所得移転が起こっている。特許保護が技術革新のインセンティブになるというよくある説明は、payerとpayeeが被搾取者と搾取者の関係に立つとき、説得力を失なう。

 TRIPS交渉団が匙を投げた並行輸入問題でもそうである。学者が属地主義や独立の原則などの観念論に耽っている間に、消費者が安くて良いものを求めて個人輸入に走り、苦境におちいった小売業と、薄利多売に目覚めたメーカーが雪崩を打ってこれに追随するという現象が、カナダやオーストラリアから報告されている(26)

 技術や市場の論理に逆行する知的財産権レジームは、知的財産権そのものの存在理由をもういちど問い直させる契機ともなりかねない。

. Agreement Establishing the World Trade Organization, Annex 1C: Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights, Final Act Embodying the Results of the Uruguay Round of Multilateral Trade Negotiations, GATT, The Legal Texts, Publications Services, Centre William Rappard, Rue de Lausanne 154, CH-1211 Geneva, Switzerland, ISBN-92-870-1121-4。

. 本稿は、公刊資料として、週刊の International Trade Reporter, The Bureau of National Affairs, Inc., 1231 25th St. N.W., Washington, D.C. 20037(以下「ITR」)と、Inside U .S. Trade, P. O. Box 7167, Ben Franklin Station, Washington, D. C. 20044(以下「IUST」)を主として使っている。とくに後者は機密指定された資料も複写版で掲載しており、情報の宝庫である。もちろん、米国(時にはEC)通商当局が意図的にリークしているものもあるので、利用にあたっては、その点を十分吟味しているつもりである。本稿は、さらに、米国ルートから入手した未公刊情報を一部使っている(米国では、この種の情報は、ひろく業界・学界に流布しており、容易に入手できるのだが、無用な詮索を避けるため、出所はかならずしも明示していない)。交渉の詳細については、本間忠良「TRIPS交渉の経緯」、『知的財産の裁判外紛争処理に関する調査研究報告書T WTO・TRIPS協定に関する調査研究』(知的財産権財産研究所、1995年5月)を参照されたい。

. 本間忠良、「知的財産に関する日米欧民間3極交渉の経緯−−トレード・シークレット」、『特許研究』第7号(特許庁―発明協会、1989年3月)。なお、「知的財産権に関する日米欧民間3極会議の見解−−知的財産に関するGATT協定の締結に向けて」、『経済資料』bR57(経済団体連合会、1988年7月)参照。1988年6月の日米欧民間3極合意では、米国案の norm や minimum standard に経団連が異をとなえ、 agreed standard におちついた。米国ウルグアイ・ラウンド協定法が、TRIPS協定を満足しているからといって、スペシャル301条やレギュラー301条の一方的措置を免れるものではないといっている(313−4条)ので、TRIPS協定のスタンダードが、minimum standard なのか agreed standard なのかという議論が、今後、再燃するだろう。

. 米国政府・民間とも、この arena(闘技場)ということばを好んで使う。知的財産権に関して、もうひとつ米国官民の好むことばが descipline(こらしめによる規律づけ)である。いずれも米国による国際知的財産権レジームづくりの方法論をよくあらわしていることばである。

. Schenck v. Nortron, 713 F. 2d 782 (Fed. Cir. 1983)。

. DOJ Antitrust Guidelines for Licensing of Intellectual Property, BNA : Patent, Trademark & Copyright Journal, 714-5 Vol. 49 (April 13, 1995)。

. 1991年10月10日朝日新聞インタービュー記事。

. 尾島 明、「ウルグアイ・ラウンドTRIP協定合意案の解説」連載第9回、『貿易関連知的財産権問題誌』第2巻第5号(日本機械輸出組合、1994年3月)50ページ参照。

. リーガル・テキスト米国案はITR7−680、日本案はIUST1990年5月18日号に掲載。

10. IUST1991年11月1日/11日号。

11. MTN.TNC/W/FA。ドンケル・ペーパーもInternational Trade Reporter Plusから複写版が発売されている。本稿はこれによった。

12. IUST1992年2月5日/4月8日。

13. 協定の詳細については、本間忠良、「技術と通商−−ウルグアイ・ラウンド貿易関連知的所有権(TRIPS)協定について」、『知的財産の潮流』(知的財産研究所、1995年)を参照されたい。

14. 「正直な慣習」は、パリ条約10条2「honest practices」の直訳である。日本語の公式訳では、これが「公正な慣習」となっており、fairも、legitimateも、honestも、ぜんぶ「公正」と訳してしまう無神経さに、日米「公正」摩擦のひとつの原因があるような気がする。

15. 内国民に認めている知的財産権の消尽を外国人に認めないのは内国民待遇違反だし、X国人に認めてY国人に認めないのは最恵国待遇違反である。前者はどこの加盟国にも通用するが、後者は、とくに、域内で並行輸入を認めていながら、域外からの並行輸入に否定的なECにきびしい。この点で、ECが,交渉中期、「消尽に関してはECを単一の加盟国とみなす」という6条脚注を提案していたことが想起される(最終協定には入っていない)。

16. 一般に、交渉においては、討論と説得によって次第に合意が形成されてくるものではなく、双方の主張が最後の最後まで平行線をたどったあげく、共倒れ戦争勃発という破局寸前に、急転直下、双方とも予想していなかった内容の合意に追い込まれるというケースが多い。1992年11月の米欧農業ブレアハウス合意がそうだった。1993年12月、7年かかった合意の前夜、それまで big name に対する米国上院の反発を懸念して名づけていた「多角的貿易機関(Multilateral Trade Organization)」が、当の米国の要求で、突如「世界貿易機関(World Trade Organization)」に変更されたというエピソードもこのような交渉力学の好例である。

17. ROBERT O. KEOHANE, AFTER HEGEMONY (Princeton University Press, Princeton, N. J., 1984)。

18. 本稿で「プロパテント」、「アンチパテント」といっても、かならずしも特許のことだけををいっているのではない。知的財産権一般に対する好悪を特許に代表させているだけである。

19. KEOHANE, supra §5-6, p.214。

20Id. pp.11, 18, 62, 87, 97。

21. 知的財産と一般の有形財産の間には、司法省ガイドラインが軽く言っているよりはるかに大きな断絶がある。紙数の制限上ここでは詳細の議論はできないが、知的財産が有体財産と質的に異なる点を順不同で挙げれば、1)排他性の欠如、2)定形性の欠如、3)限界費用の低さ、4)侵害の容易さ、5)代替性の乏しさ、6)競争価格解の欠如、7)価格情報の非対称、8)リスクの非対称、9)規制・独占・談合の容易さ、10)倫理的偏見の強さ、11)取引コストの大きさなどなど、考えればいくらでもでてきそうである。情報化社会の健全な発展のためには、知的財産権の確立とその市場形成(有体商品ではこれに数百年かかった)との間の慎重なバランス設計が必要であろう。

22. KEOHANE, supra p.73, 98, 153。

23Id. p.10。

24. ROBERT KEOHANE, JOSEPH NYE & STANLEY HOFFMANN, ed., AFTER THE COLD WAR (Harvard University Press, Cambridge, MA., 1993), p.105は90年代における米国の国際的な影響力の復活を観察している。

25. 科学技術白書平成8年版 p.416。

26. Myra Tawfik, Pararell Importaion and Intellectual Propoerty Law, in GEORGE STEWART, MYRA TAWFIK & MAUREEN IRISH, ed., INTERNATIONAL TRADE & INTELLECTUAL PROPERTY (Westview Press, Boulder, Col. 1994)。