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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略

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経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act  Exercise 60 Cases

情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution

論文とエッセイ(日本語)Theses and Essays

 

  

ビジネス戦争論−−野戦編1

(Working Paper 02-1-2)

                 本間忠良

船木春仁『時代がやっと追いついた−−新常識をつくったビジネスの「異端者」たち』(新潮社、2003年2月)、本間忠良「知的商品市場の失敗と訴訟の役割り」「米国における特許侵害訴訟の実態――ワトソン事件」と一部重複。

目次
1.はじめに: ビジネス戦争論
2.事例研究
 2.1.Tandem・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・信念なき者は去れ
 2.2.La Melson・・・・・・・・・・・・・・・・・・テロと謀略
 2.3.Papst・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブラフ(恫喝)の自己崩壊
 2.4.Watson・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 内部にも敵
 2.5.International と American・・・・・・繰りかえしゲーム
 2.6.東重工・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メタゲーム
 2.7.Harpco・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 内部志向
 2.8.Fission・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・IPポピュリズム
3.戦争論:連続体としての訴訟と交渉
4.現実の訴訟にみる不合理性
5.日本における3人ゲームと訴訟社会の到来 

1.はじめに: ビジネス戦争論

 いま、世界のハイテク産業は大規模な合従連衡の時代にはいっている。ここでは、製品やサービスの開発力や販売力とならんで、いや、短期的にはそれ以上に、企業の交渉能力がモノをいう。これは、日本企業がもっとも不得手とするところである。交渉が不得手な最大の原因が、日本企業の経営者のなかにある「お人好し」である。

 誠意をつくして交渉すれば、相手もわかかってくれる。相手も一流企業だから、まさか騙すはずはない。こちらの製品や技術さえよければ、相手は公正な対価をはらってくれるはずだ。だから、英語もしゃべれない経営者や技術者が大型交渉にでていく(通訳を使うから大丈夫だと思っている)。ジョークだけうまい英語屋を交渉人にたてる。契約書つくりだけうまい弁護士に交渉をまかせる。だいたい契約書ドラフトは相手が作ってくれる。契約の細部にはこだわらない度量をみせる。

 だが、これらはすべてまちがいである。Homo homini lupus 「人は人にとって狼である」。ビジネスは戦いで、交渉は生きるか死ぬかの決闘である。交渉はプロの仕事である。日本というぬるま湯社会のなかに浸っている経営者にはこれがわからない。

 いまのような広範な事業提携が主流になる前、ハイテク企業の世界では、交渉といえば特許権ライセンス交渉であった。じつは、いま大流行の事業提携も、若い社長さんたちのパニック的たむろ衝動によるものを除けば、ほとんどが知的財産権ライセンスの取得が目的である。

 特許権ライセンス交渉で、クラウゼウィッツのテーゼ「戦争は別の手段で遂行される政治の継続である」(1) をひそかに信条として仕事をしていた男がいた。文字どおりの意味でのビジネス戦士である。彼が都電子の渉外部を作って、その初代部長を7年勤めた。

 もちろん、特許出願は昔からある特許部の仕事である。しかし、特許権を企業の戦略兵器として「行使」するためには、特許出願とまったく異なる能力とセンスが要求される。そのため、先進企業では、旧来の特許部とはべつの行動原理をもつ部門(渉外部、ライセンス部などとよばれる)を新設し、めざましい成果をおさめつつある。また、「行使」に関しては、ドイツ概念法学をベースとする旧来の特許法学は役にたたない。経済学や政治学ではぐくまれてきた「ゲームの理論」(2)を基礎とするあたらしい戦略論が必要である。

 本稿は、許された紙数の制限内で、企業における特許権を利用した戦略行動をとりあげ、かかる行動の手段としての交渉と訴訟を、クラウゼヴィッツの戦争論にいう政治と戦争の連続体モデルでシミュレートし、さらに、いわゆる「繰りかえしプレーされる囚人のジレンマ」ゲーム(3)におけるtit for tat(オウムがえし)戦略モデル(4) を使って、エレクトロニクス業界が経験してきた外国企業との知的財産紛争を分析、ハイテク企業に対する実戦的なアドバイスを提供しようとしている。

2.事例研究

 実戦性を志向する本稿では、当然、まず、事例研究からはじめることになる。事例研究は、主として特許権の主張をうける潜在ライセンシー(潜在被告)側の視点から書かれているが、権利者側の戦略のための反面教師としても有用であろう。

 主人公の都電子は日本の総合電機メーカーだが、トップが重電育ちの技術者で占められているため情報通信は得意ではない。財閥系ということもあって経営風土は微温的だが、ビッグ・ネームが標的になって、米国での知的財産権訴訟が多いことで突出している。80年代までは技術取引きや訴訟の責任権限が各部に分散していた(国内は特許部)が、これを89年渉外部に集中した(窓口やアドバイスではなく実質的な事業決定権限がある)。

2.1. Tandem・・・・・・・・信念なき者は去れ

 米国T社はフロッピー・ディスク・ドライブ(FDD)専業メーカー。84年、同社所有の固定ヘッド製品をクレームする米国特許1件にもとづいて、ほとんど無警告で日本各社をITC(国際貿易委員会)および連邦地裁に提訴。都電子を除く日本各社がバタバタ和解。85年、ITCは都電子製品に対する暫定排除命令を発したが、都電子は25%のボンドを預託して輸入を継続。ITCの最終決定は都製品非抵触。T社上訴するも87年CAFC(連邦控訴裁)これを却下。

 <戦略メモ>これは都電子渉外部の最初期のケースで、都電子は最終的には勝ったものの、緻密な戦略にもとづく確実な勝訴とはいえない。いくら特許シロの確信があったとしても、仮差止めがかかっているのにボンド輸入を継続する(リスクの増大)など、むしろ第4章で論じる「戦争の不合理な要素」の事例である。ただ、米国法廷にある「信念なき者は去れ」という強烈な選別思想がよくあらわれており、第5章で述べる3人ゲーム(すぐ和解したがる日本の共同被告を第3プレーヤーとして)のモデルであろう。ともあれ、この勝訴が都電子渉外部の原体験になっている。

2.2. La Melson・・・・・・テロと謀略

 L氏は米国の発明家。画像処理による位置決め検査法に関する米国特許を所有している。同特許はいわゆるサブマリン特許で、出願から30年以上年たって成立したものだけに、ほとんどの量産製造品が抵触。米国方法特許だが、特許法271条(g)で、輸入品も排除できる。L氏は成功報酬(33%)の弁護士を雇用(操縦士つきのジェット機を所有していて、自宅の裏庭が滑走路になっている)、89年、まず米国コンピューター大手International社および日本電子大手ソノマ社ときわめて安いロイヤルティで契約(最恵約款あり)、つぎに欧州電子・自動車と契約して軍資金を確保、92年、いよいよ本命の日本電子および日米自動車各社に警告書を送付(遅くなるほど高くなる−−最恵待遇による自己拘束−−方針を一貫して宣言)、93年、米国自動車各社を提訴。この時点で、都電子を除く日本(電子・自動車)各社バタバタ契約。

 都電子は、はじめから訴訟を予想、交渉員も下級将校クラスにとどめて情報を与えない一方、L氏および彼の特許に関する情報を徹底的に収集、93年、L氏を、特許詐欺によるRICO法(連邦不法行為法)(5) 違反で先制提訴(米国自動車の反訴もここまではやっていない)。L氏も都電子を特許侵害で逆提訴。都電子はディスカバリー(証拠調べ手続き)でL氏の個人情報を要求(個人で大企業を相手に勝負しようと思ったら、それだけの覚悟が必要)。L氏からの多額の寄付で設立された財団の理事をつとめる著名なザロー教授(マサチューセッツ大Bスクール−−日本企業幹部の箔付け用短期留学を受けいれていることで有名)から、教え子の米国都電子社長へ脅迫電話があったりして、都電子幹部がパニックったが、渉外部は動じない。95年、L氏ついに屈服して都電子に和解申しいれ、1回の交渉で妥結した。和解金は名目的なもの。

 <戦略メモ>相手が大企業であれば、反訴のリスクもそれなりにおおきく、ゲーム理論が成立する余地がある。しかし、失うものが圧倒的にすくない発明者個人が相手では、通常は、大企業が不利な戦いを強いられる。Internationalやソノマがいつも怪しげな特許の青田買いをするのはこれが理由である。これほど軽快な動きのできない古い体質の都電子では、いつも早期和解のバスに乗り遅れて訴訟に突入する可能性がおおきい。渉外部としてやれることは、個人原告のリスクをできるだけおおきくして、なんとか対等のゲームに持ちこむことぐらいである。RICO法がその解答だった。 

2.3. Papst・・・・・・・・・ブラフ(恫喝)の自己崩壊

 ドイツP社は1世紀近い歴史をもつ小型モーターのメーカーだったが、70年代以降業績悪化、現在は製造から撤退して、特許ブローカーと化している。パソコン用冷却ファンの特許数件を世界各国で登録、92年頃、日本各社に警告書を送ってきた。交渉では、ほとんどの日本各社が非抵触を主張したが、大手の増山電工が契約したため総崩れになった。

 しかるに、都電子のみ特許論争を継続して金銭妥協に応じない(一貫してゼロ回答、したがってP社も譲歩せず−−P社は増山電工に最恵待遇を与えていたらしい)。P社は、交渉当初から米国での訴訟の脅しをかけていたため、交渉の回を重ねるごとに脅しのエスカレーション材料がなくなり、ついに提訴にふみきった。訴状コピーが託送便で送られてきたが、都電子は訴状受領を拒否しつつ応訴。しかしP社はいつまでたってもハーグ条約所定の訴状送達をおこなわず、訴訟は進行しない(足元がみえている)。

 そのうち、P社創立者の子息にあたる現社長より会談申しこみあり、都電子渉外部長が中立地帯としてバンクーバーのホテルを指定、2人だけで秘密会談、P社より和解提案あったが、都電子は「訴訟取りさげが先決」と主張して譲らず、ついにP社は訴訟を取りさげた。これでP社の攻撃戦線は完全に崩壊、和解会談では都電子の一方的なペースに終始、増山電工の1/3のロイヤルティで妥結。

 会議終了後、P社社長が都電子の秘書がいれたコーヒーを褒めたところから、バッハの「コーヒー・カンタータ」に話しが及び、「タバコ・カンタータもあるよ」、「ほんと?」という応酬のあと、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳So oft ich meine Tobakspfeiffe(Tragicomedia)がはいったCDを送ってきた。私は「武士の情け」の話しをしているのである。

 <戦略メモ>これは都電子渉外部が書いたシナリオどおりになったケース。脅しのエスカレーションは、相手と等価の行動にプラス・アルファを周到に加えていかなければならない。抑止戦略は、相手がこれに乗らないと自壊する。まさに「抑止のメヌエット」である。

2.4. Watson・・・・・・・・内部にも敵

 米国のコンピューター・メーカーW社は、85年頃ワードプロセッサでトップ。しかしパソコン化の波に乗りおくれ、92年8月(本件訴訟中)破産法11章(会社更生)申請。問題製品は9チップ30ピンSIMM。W社米国特許はDRAM 9個を1列に配置、30本の電極ピンを有する装置をクレーム。83年9月出願、88年成立。85年日本特許公開(審査請求せず)。

 83年9月中旬、W社は、特許出願の事実を告げないまま、9チップ30ピンSIMM規格をJEEC(電子部品の規格作りを目的とする非営利法人)提案、86年採択。83年9月中旬、W社は、特許出願の事実を告げないまま製品発表をおこない、「発明といえるようなものではなく、製造方法もオフ・ザ・シェルフ技術でよい」などと言明(均等論をみずから否定するファイル・ラッパー・エストッペル)、都電子をふくむ日本各社に大量発注、その後も日本各社の外販開始を知りつつ、特許出願の事実を告げなかった(「黙示のライセンス」)。

 89年12月、W社は都電子をふくむ日本各社に警告書を送付。都電子では、特許部が特許公報だけ見て「有効かつ抵触」と判断、半導体工場に対して設計変更を文書で指示。しかし、これをみた渉外部長は米国弁護士に鑑定を依頼。90年6月づけの米国弁護士鑑定書は、有効性・執行可能性・抵触性いずれも50%以下と評価、渉外部長はこれをencouragingと判断しつつも、90年12月、W社に対してライセンス条件を照会。

 一方、90年10月、W社は、日本の大手半導体メーカー東進電気と日洋通信をヴァージニア州東部地区連邦地裁に提訴。91年8月、均等論を適用した陪審評決でW社勝訴。

 都電子の照会に対して、W社は、92年1月、はじめて条件を提示したが、同日、日本各社をITCに提訴(暫定および最終救済を請求)。92年3-4月、都電子を除く日本各社がバタバタ和解。W社は、4月、暫定救済ヒアリング直前に同請求を取りさげ。6月、最終救済ヒアリング直前にITC提訴そのものを取りさげると同時に、都電子をヴァージニア州東部地区連邦地裁に提訴(仮および永久差止め、故意侵害による3倍損害賠償を請求)。都電子は、ただちに、W社をカリフォルニア州中部地区(ロス)連邦地裁に逆提訴、同社特許権の無効・非抵触(黙示のライセンス抗弁をふくむ)、W社の参入および規格採択誘導行為の反トラスト法違反を理由とする執行不能の確認宣言判決を請求。同時に、ヴァージニア地裁で、便宜法廷地を理由とする同訴訟のロス移送を請求、同地裁は移送を許可した。

 93年6月、ロス地裁の判事はW社の仮差止請求を却下。

 93年11-12月、W社損害賠償請求に関するディスカバリーの主要争点は、1)都電子製SIMMのコスト・プライス情報、2)都電子の故意侵害否認にともなう弁護士鑑定書だったが、いずれも予審判事の決定で開示。ほかに、仮差止め決定直前パニックにおちいった都電子現地子会社が顧客に配った「現在和解交渉中(事実ではない)」という書信、同じく現地子会社社長が渉外部長の独走を本社社長に直訴した書信などが開示されている。デポジション(証人審尋)では、都電子の半導体技術者が、「都電子は製品発売時に特許調査をしなかったのか」という質問に対して、「特許調査」を勝手に「日本公開公報の全数調査」と解釈して、「しなかった」と回答。

 陪審トライアルは94年6月開始、W社は都電子の企業ぐるみの故意侵害立証に全力投球、これに対して、都電子渉外部長は、1)特許部判定は弁護士鑑定への予備ステップにすぎない、2)特許調査に関する技術者デポ回答は誤解だったと証言。

 陪審評決は、a)都電子に侵害の意図なし、b)都電子はW社特許の黙示のライセンスを有する、c)都電子のW社特許無効非抵触主張は不成功。判決は上記 b)によって都電子勝訴。(反トラスト訴因は別トライアル)。97年2月CAFC控訴審でも都電子勝訴。

 この間、都電子渉外部長がボストン郊外のW社本社を訪問、伝説的創立者ワトソン氏(故人)の記念オフィスに案内されたが、従業員の弁当の食べ殻が放置されており、案内してくれた現トップ(銀行出身)が赤面するという悲痛な1シーンがあった。落ち目になった製造業が知的財産権にしがみつくと、こういうことになる。

 <戦略メモ>これは都電子の戦略成功というより、W社の戦略失敗のケースであろう。W社は、最強のプレーヤー東進電気と日洋通信を負かしたところで、あとの日本メーカーが全部ひざまずいてくると楽観していたのである。1社でも例外があったら崩れる戦略は根本から欠陥があった。"Those who fight last fight best."

2.5. InternationalとAmerican・・・・・・・繰りかえしゲーム

 米国Internationalは世界最大のコンピューター・メーカー、おなじく米国Americanは世界第1位の通信サービス会社。両社ともその巨大さのゆえに、56年同意審決および69年の反トラスト被訴以来つねに米国司法省の眼を意識、また近年における情報および通信技術の接近にともない、両社の特許ライセンス方針は奇妙なほど類似してきていた。56年同意審決のもとで、両社は、それぞれ独立に、日本の大手電子数社(ファミリー)とのあいだで、広範な製品分野(情報処理組織=IHS)について、5年きざみで新出願をとりこみ、その永久ライセンスをクロス・ライセンスする契約を結んできた。双方の特許力の差を金銭換算するバランシング・ペイメントも、はじめはきわめて低廉なものだった。ファミリー以外の(中堅)企業に対しては、原則として無差別の1-3%ランニング・ロイヤルテイ(as-used basis)でライセンスしていた。

 司法省が対International訴訟を取りさげ、Americanを分割した82年以来、両社の対日ライセンス政策がおおきく変化した。とくにバランシング・ペイメント要求が、前契約比6-10倍と高騰した。

 もともと情報通信に弱い都電子渉外部はこれに強く反発し、典型的な「弱者の抵抗」戦略をとった。つまりファミリーからの脱退(as-used移行)をほのめかすことによって、まだ保護者の面子を捨てきれないInternationalとAmericanを脅したのである。とくにInternationalは重要顧客である都グループの思惑を顧慮した。International契約91年更改のときなど、都電子は、Internationalの打ちあげレセプション前夜まで交渉をボイコットするAll-D(ゲーム理論でいう全面拒否)姿勢をみせている。

 だが都電子渉外部のこの戦略は、社内各事業部からはげしい抵抗をうけた。コンピューターと通信機に弱いといっても、IHSにはビデオや半導体もふくまれる。長年にわたるファミリー待遇に馴れきった事業部は、InternationalやAmerican特許をそれまで一切検討していなかったし、いまさら何千件もの特許を検討する気も起こらないというのである。都電子渉外部はこの双方の惰性にもたれるようにして「弱者の抵抗」を演出した。

 International 96年更改交渉で、渉外部は、「演出」ではなくて、本気でファミリー離脱を考えており、American契約はすでにIHS包括ではなく半導体単品の契約に特化している。分社化の流行にともない、この種の包括契約はますます難しくなっている(Americanのチーフ・ネゴシエーターもそういっている)。

 <戦略メモ>都電子は、La Melson相手では高飛車にでたのに、InternationalやAmericanのような大企業を相手にすると弱者の戦略をとる。一見卑怯なようだが、これがビジネスの現実である、戦略はフレキシブルでなければならない。都電子は訴訟で負けたことがない・・というのは、ほんとうに負けそうだと思ったら和解してしまうからである(Tandem事件を除き)。ただ、このためには、ギリギリの形勢を読みきる能力が必要である。

2.6. 東重工・・・・・・・・・・メタゲーム

 日本大手総合電機メーカー東重工は、いわば旧型特許部体制の頂点にたつ会社といえる。特許部の人数もおおく、社内での地位もたかい。特許庁や特許関連団体にも顔がひろく、はやくから特許全面(有償)開放政策を公表しており、技術収支も毎年黒字と称している。渉外事件については事なかれ・横並び意識が強く、1対1のケンカは弱い。87年、都電子特許部(当時、国内交渉は特許部の管轄だった)と交渉して、半導体に関する包括クロス・ライセンス契約(5年)を締結、バランシング・ペイメントとして計数十億円払わせた。この5年間、両社特許部は異様なほど友好的な関係にあった。

 92年、こんどは都電子渉外部との間で更改交渉がはじまったが、すでに米欧相手に多数の困難な交渉・訴訟を経験している都電子渉外部は、今までの特許部とはうってかわった強硬姿勢で、ゼロ回答どころか、東重工の方が売上げがおおい(2倍近い)ことを根拠に、逆に支払いを要求するにいたった。おどろいた東重工は、事業部・官庁・特許関連団体などのルートを通じて「政治的妥協」への圧力をかけてきたが、都電子渉外部は頑としてきかず、交渉は暗礁に乗りあげた。都電子渉外部は、古い体質の日本企業間にみられた特許部落内での談合的・なれあい的交渉を意識的に拒否したのである。

 この段階で、都電子は、金銭の話しよりさきに、まず交渉のルールを決めることを東重工に提案、東重工もやむなくこれに同意、交渉ルールのための交渉(メタゲーム)がはじまった。この交渉に約1年かかったが、結局、両社の特許15件(保有特許件数も東重工のほうが2倍ちかくあるので、この段階ですでに都有利)を代表選手として出場させ、それぞれの有効および抵触確率を合意し、それに相手方の抵触製品売上げを掛け(同一製品に複数特許が抵触してもそのうち最大確率のもの1件にとどめる)、さらに両社の特許公開ロイヤルテイ3%を掛けて、その差額をバランシング・ペイメントとすることで合意。もちろん、この段階で、両社とも、その時々に提案されているルールにしたがって金銭的な試算はしていたが、その過程で、とくに東重工の内部で、旧来の掴み金的妥協がもはや不可能なことがしだいに納得されてきたのである。

 結局、両社間に、双方とも金銭的支払なく将来10年にわたる半導体包括クロス・ライセンス契約が実現した。よくアウトサイダーから参入障壁呼ばわりされた大企業間の無償クロス契約網が、いまはこのようにして作られる。

 <戦略メモ>かつて日本の会社の特許部は、自社の利益より、特許部落の連帯と秩序を優先した。このムラ構造は、外圧(米欧企業からの攻勢)と内圧(利益重視の経営)によって、急速に崩壊しつつある。

2.7. Harpco・・・・・・・・内部志向

 95年12月、米国の工作機械メーカーH社は、同社所有の「対話型工作機械システム」と題する米国特許1件にもとづき、日本の工作機械メーカー山内製作所、工作機械のユーザーである大手自動車メーカー日進自動車をヴァージニア連邦地裁に提訴した(損害賠償と差止め)。問題の工作機械の数値制御システムは都電子が製造したものである(一部は山内のOEM、他は自己ブランド)。ちなみに、納入契約の特許侵害免責条項は、対山内にはなく(ただし、過去類似のケースで半額負担したことがある)、対日進はすべて(経費ふくめて)免責という苛酷なもの。

 山内はいままで渉外訴訟の経験がないため、日本の顧問弁護士事務所に助言を求めたところ、特許はクロで絶望だから、早急にH社と和解して、和解金を都電子に求償すべきだという助言をもらった。日進は、問題の対話型工作機械はすこししか使っていないのに、全社のビジネスがディスカバリーの対象になるのは、とくに日米自動車摩擦との関係で迷惑であり、早急にH社と和解して、都に求償したい意向であった。いずれも、外と戦うかわりに内で逃げようという内部志向型の発想である。

 都電子渉外部長は、ただちに両社(およびその弁護士)を説得して、とにかく応訴させ、同時に都の米国特許弁護士の鑑定を依頼、特許シロの確信をもつにいたった。しかしこれを山内と日進にみせることはできない(弁護士依頼人秘匿特権が破れる−−日本の弁護士がこの特権で保護されるかどうかは判例が分裂)。都電子はクラッシュ・プログラムで訴訟準備をおこない、3か月後の96年2月、H社をシカゴ連邦地裁に先制提訴、H社特許の無効・非抵触・執行不能確認と同時に、H社による特許権濫用、反トラスト法違反、営業妨害、不当表示、契約妨害、不公正競争による損害賠償と差止めを請求、全面戦争を挑んだ。H社は都をヴァージニア訴訟の被告に追加したが、もともと大メーカー相手に生きるか死ぬかの全面戦争を遂行する覚悟も準備もない。97年、両社はnuisance fee程度のロイヤルティで和解(H社トップが株主代表訴訟で追及されない程度の逃げ道を残してやっている。都電子はべつに正義の味方ではない−−特許をつぶして、同業者を喜ばせてやるいわれはない)。

 <戦略メモ>米国の特許弁護士のあいだに、「都電子はファイトする」という評判が高まっている。H社は、その都電子との正面衝突を避けて、その顧客をたたくというゲリラ戦術にでた。H社にとっては、都電子がこれほど早く反撃できるとは思っていなかった誤算である。他方、山内にみられる無戦略が、日本企業を世界の特許サメたちの餌食にしている。また、米国特許に関する判断力のない日本の弁護士のあまりにも司法試験的な発想が、マクロ・ビジネスを危機におとしいれている(ついでながら、いま話題になっている法科大学院では、英語と戦略論を必修にしなければだめだ−−もっともそうすると、いまの日本の弁護士のほとんどが失格ではないか)。都電機の逆提訴は、メーカーの責任貫徹ということで、ユーザー間に好評。

2.8. Fission・・・・・・・IPポピュリズム

 米国の政治を長年みていると、その底流にあるひとつの顕著な政治思想に気がつく。トマス・ジェファソン(もともと特許審査官で、憲法1条8項の起草者でもあった)が創始したポピュリズムの伝統である。これが、彼のライバルであったハミルトンのフェデラリズムと、ちょうど「あざなえる縄ごとく」、米国政治史のなかに交互に出没する。82年ごろにはじまる米国知的財産権政策の底には、このポピュリズムの噴出がみられる。いわゆる知的財産権自然権思想、先発明主義、出願公開や強制実施に対する反発などなどその徴候が多数みられる。

 現在、米国議会におけるポピュリズム思想の代弁者はロックフェラー上院議員である。彼は、まさにその思想のゆえに扇動型の政治家で、環境問題とともに知的財産権問題を絶好の政治的争点とみており、とくに執拗な日本叩きを特徴とする。彼の過去の政治的成果のうち、日本関連で特筆すべきものが89年前後のいわゆるFission事件である。これは前年の東芝・コングスベルク事件という恐怖体験で腰が抜けた日本政府が完全に米国サイドにたって、都電子に全面屈服の圧力をかけ続けた(ひとり渉外部長が抵抗)。パニックに陥った都電子海外本部が、あわてて米国のロビイストを雇い、これがパット・チョートの「影響の代理人」という本で叩かれ、また彼らが担ぎ出したパックウッド上院議員がセクハラで辞任・・というスキャンダルにまで発展した。

 この問題は、はじめは、マイクロ波放電装置の日本特許に関するF社と都電子のあいだのささやかな特許紛争からはじまった。F社出願(基本特許ではない)に対して、都電子が回避設計とともに多数の関連出願をおこない、いざ双方の特許(群)が成立してみると、都電子は非抵触、F社は抵触という逆転状況になっていたものである。ちなみに、F社のシエアは日本で80%、米国で100%である。

 F社はこの紛争を自州(メリーランド)の上院議員に持ちこみ、ちょうどそのころウルグアイ・ラウンドTRIPS交渉の難航ぶりをみていたロックフェラーがこれを取りあげ、議会ヒアリング、マスコミ、学界、2国間交渉の全面にわたって日本叩きキャンペーンを展開した。このころちょうどクライスラーのアイアコッカ社長が同じことをやっていた。まことに「政治とは争点操作の技術」である。この時点では都電子叩きではなくて日本叩きに転化していた。このことはF社にとっては心外で、結局のちスベロ社長は退陣に追いこまれる−−ここに都電子渉外部の謀略があったかどうかについては明言できない。92年、集団ヒステリーがおさまったころ、都電子渉外部長はF社新経営陣と交渉を再開、「都電子日本特許のライセンスをF社に有償(公開レート3%)でグラントする」契約を締結、この不毛な事件の幕を閉じた。

 <戦略メモ>日本政府は、これ以後、すっかり米国プロパテントのペースに乗せられ、このスベロ社長のような政治屋が、随所で、「日本では特許クレームの解釈が狭すぎる」、「損害賠償が少なすぎる(いま日本特許庁や弁護士会までが同じことをいっている)」、「弁護士業がカルテル化している」、「裁判が遅すぎる」、「均等論がはっきりしない」、「ディスカバリー制度がない」、「ビジネス・モデル特許がない」など主張して、日本の司法制度(特許制度という矮小な話しではない)を弾劾するたびに、次々にそれらに譲歩してきた。米国包括通商競争力法スペシャル301条も、南北問題の途上国叩きは一段落ということで、そのまなざしを北北問題の日欧のほうにむけつつある(96年で日本が優先監視国に昇格−−ECは前からそうだった)。「知的」なムードや「財産」にあこがれる心優しいプロパテント派のひとびとに、 国際政治経済の苛烈な現実に目覚めてほしく、このケースを選んだ。

3. 戦争論:連続体としての訴訟と交渉

 第2章の事例研究から抽出される訴訟のノウハウをまとめてみよう。ここでは米国連邦地裁での陪審トライアルを想定し、特許権者からの侵害訴訟を防御する被告の立場をとっている。原告の立場をとりたい読者は、このノウハウの鏡像を想定すればいい。

 まず時間の要素である。一般に、被告にとって、訴訟は長くかかるほど有利である。また、反トラスト法や衡平法による抗弁や反訴などもふくめた複雑な戦いかたが有利である。特許訴訟の原告は、通常、quick money を求めて電撃戦(Blitzkrieg)をしかけてくるので、塹壕戦は本意ではない。だから、従来は、関税法337条の圧力下での和解が好まれていたのである(Tandemケース)。

 また、とくにハイテク分野では、長引く訴訟のあいだに、技術の進歩によって特許製品が時代遅れになり、原告の差止請求が空振りになって、交渉力を喪失することがおおい。この点で、原告からの仮差止請求に関する判事命令が訴訟前半のヤマ場になる(Watsonケース)。

 つぎが費用の要素である。米国での訴訟は消耗戦(war of attrition)である。以前は訴訟を天災視していた日本企業も、最近、とくにハイテク機器メーカーを中心に、係争額見積りの10%程度を訴訟経費として予算化しているところが増えている。この点はもちろん大企業に有利である。

 さいごが人の要素である。まず被告側の訴訟代理人であるが、特許出願の専門家だけでは不十分である。特許専門家はやはりどこか権利者サイドに立つ心理がある。だから反トラスト弁護士と組みあわせとバランスがとれる(Watsonケースでは特許論だけで戦った東亜電気と日本通信が負け、都電子は特許論以外の争点で勝った)。

 また、訴訟がはじまると、つぎつぎに会社としての重要な決断に迫られることになるが、社内体制として最も重要なのは、訴訟指揮の全権を委任された部長級(将師)の資質である(事例研究のすべてのケースで、最後は都電子渉外部長と相手方将帥との一騎打ちになっている)。

 つぎに、膨大な特許論争やディスカバリー圧力に耐え得る若手担当者のグループが必要である。訴訟は、内外のあらゆるビジネス情報に接し、またつねに戦略的決断にさらされることで、幹部候補生訓練の絶好の場となっている(東重工/Watsonケース)。

 トップ経営者の役割りは精神的なものにとどまるが、原告はかならずトップのデポジションを要求してくるので、とくに同業者とのコミュニケーションについては慎重にしなければならない。

 被告の営業部門は、いったん特許係争にはいると客先からの免責(indeminification)要求にさらされるので、強い当事者意識が必要なのだが、実際は事なかれ主義で、訴訟遂行上お荷物になることがおおい(Watson/Harpcoケース)。

 同業者とのコミュニケーションは、反トラスト法問題、裏切りなど、マイナス要因だけである(Harpcoケース)。さいごにマスコミについていえば、一般に press war は体面を気にする日本企業にとって不利である(Fissionケース)。

4. 現実の訴訟にみる不合理性

 事例研究にあげた各ケースのなかで、都電子は、つねに、ゲーム理論家が前提する「合理的プレーヤー」として行動していたわけではない。Tandemケースで、暫定排除命令がでたのに、25%ものボンドを積んで輸入を続けた動機は、かならずしも納入契約不履行のペナルテイと比較しての合理的な計算ばかりではなかった。Watsonケースでは、都電子からの照会に対して、W社が契約書ドラフトを送ってきたのと同じ日付でITCに提訴したことが、それまで和戦相なかばしていた都電子の内部を徹底抗戦に結束させた。そのくせ、仮差止め決定の日がせまると、現地子会社がパニック行動に走るのだ。Fissionケースでは、わずかな事業の存続のために渉外部長ひとりが抵抗し、おかげで都電子が世界中から叩かれ、彼は社内での出世を棒に振った。

 現実の知的財産紛争は、合理的なゲームではなく、不合理いっぱいの戦争にむしろちかい。ゲームだとしても、「交渉が行き詰まったから、裁判で決めてもらいましょう」という仲裁にちかい「囚人のジレンマ・ゲーム」より、1車線の道路上で、2台の車を反対側から疾走させ、回避行動をしたほうがチキン(臆病者)と呼ばれることになる「チキン・ゲーム」にむしろちかい。

 チキン・ゲームにぜったい負けない戦略がある。それは、自車のハンドルを取りはずして、それを相手にみえるようにして、車外に投げだしてしまうことである。これで勝ちか引き分けになる。都電子渉外部が無意識のうちにやっていた一見不合理な行動は、このハンドルを取りはずして車外に投げだす行動だったのではないだろうか。これによって、都電子が不合理なまでに訴訟好きだという"mad dog" 神話が形成され、潜在的な攻撃を抑止している。

5. 日本における3人ゲームと訴訟社会の到来

 都電子の戦略行動にはもう1つ別の要因がある。それは、都電子対米国各社の知的財産紛争が、実は2人ゲームではなくて、3人ゲームだったのではないかという仮説である。3人目のプレーヤーとは日本の同業他社である。都電子とはまったく反対の戦略で確信的に行動しているソノマのような会社を除いて、日本の電機各社がいったんは突っ張りながら、結局は屈服して金で解決するという繰りかえしパターンを示しているからこそ、かえって都電子のようなかたくななまでの戦闘性が目立つのである。

 また、契約するにしても都電子はいつも最後になるのだが、それまでには権利者はあまりハングリーではなくなっている一方、先に契約した各社との最恵条項が妨げになって、都電子に譲歩できないというジレンマに陥っている(最恵条項は価格維持合意にほかならない。競争政策面からもっと批判されるべきであろう)。さらに、都電子との訴訟において、虎の子の特許権が無効や執行不能にされたら、いままでとったロイヤルティが不当利得になるというジレンマもある。

 現に、Watsonケースのように、都電子の勝訴後、既契約各社が支払いを拒絶してあたらしい訴訟になっているような例もみられる。日本各社の弱気な交渉態度は、結果的には都電子をおおきく利している。Watsonケースでは、最大手の東亜電気と日本通信が差止め判決、ほかはみな3%ロイヤルティということで、そのような制約や負担のない都電子がおおきくシエアを伸ばした。

 以上の事例研究や分析は、東重工ケースを除いて、すべて米国という訴訟社会を基盤にして成立している。しかし、司法改革によって、今後、日本にも訴訟社会の現出が必至であり、日本企業にとっては、交渉と訴訟を連続体として前提する経営戦略がどうしても必要になろう。

(というより基礎文献紹介)

1. CARL VON CLAUSEWITZ, VOM KRIEGE (Ferbinaub Dummler, Berlin 1832). ON WAR (Ed. by Anatol Rapoport, Penguin Classics). 『戦争論』(岩波文庫)。

2. 元祖的古典としてはJOHN VON NEUMANN & OSKAR MORGENSTERN, THEORY OF GAMES AND ECONOMIC BEHAVIOR (John Wyley, N.Y., 1943). あたらしいところでJAMES D. MORROW, GAME THEORY FOR POLITICAL SCIENTISTS (Princeton University Press, N.J., 1994). 読みやすい応用編としてはSTEVEN J. BRAMS, NEGOTIATION GAMES (Boutledge, N.Y., 1990) .

3. ウィリアム・パウンドストーン、松浦訳『囚人のジレンマ−−フォン・ノイマンとゲームの理論』(青土社)。

4. ROBERT AXELROD, THE EVOLUTION OF COOPERATION (BasicBooks, 1984).

5 本間忠良「米国における特許関連違法行為と民事RICO法」。.