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本間忠良 衝撃の新刊 知的財産権と独占禁止法−−反独占の思想と戦略

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経済法あてはめ演習60選(日本語)Antimonopoly Act  Exercise 60 Cases

情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution

論文とエッセイ(日本語)Theses and Essays

 

技術法のフロンティア−−ヤング報告書を超えて 

『特許ニュース』No. 9886(通商産業調査会1998年8月17日)(1)

本間忠良  

目次:
1.技術と経済の変化
2.技術法の変化
3.技術法のあたらしい方向

 

1.技術と経済の変化:

 周知のように、83年6月、レーガン大統領によって招集された産業競争力委員会は、85年1月、「グローバルな競争−−あたらしい現実」と題する2巻からなる報告書を大統領に提出した(委員長の名前をとってヤング報告書とも呼ばれる)(2)。ヤング報告書は、米国産業競争力回復のために、1)知的財産権の強化、2)通商政策の統合、3)投資コストの低減、4)労働力の流動化という4つの方策を提言した。その後の米国産業政策が忠実にこの路線をフォローし、それが最近の米国経済の好調につながっていることはたしかである。いま不況になやむ日本では、レーガノミクス待望論が急浮上しており(3)、技術法についても、ヤング報告書の表面だけをまねて、知的財産権の盲目的な保護強化を提唱する議論がみられる(4)。だが、いま世界の技術と経済は、ヤング委員会がスタートした15年前とはおおきくかわっている。それは、ヤング報告書の筆頭に位置した知的財産権強化テーゼにおいてとくにいちじるしい。歴史は決してくりかえさない。本稿は、ヤング委員会以後15年の技術と経済の変化が、知的財産法をふくむ技術法にど のようなインパクトをあたえてきたかを観察し、21世紀日本にとってのぞましい技術法の方向を示唆しようとするものである。

 ヤング報告書以後の産業技術におけるもっとも顕著な変化は、パソコン(安っぽい呼称だが、ここでは分散処理システム一般までふくめている)とネットワークによるものである。いまヤング報告書を読みなおして衝撃を受けるのは、(ヤング委員長がヒューレット・パッカードの社長だったにもかかわらず、)パソコンとネットワークに対する言及がほとんどないことである。無理もない。米国でコンピューター・プログラムの著作権保護が明文化されたのは80年だし、OSの著作物性を確認したアップル対フランクリン高裁判決は83年だった。82年のいわゆるIBM事件も、大型コンピューター(メインフレーム)の事件だった。83年当時、ダウンサイジングや分散処理は専門家のあいだの噂にすぎず、パソコンはあったが、マキントッシュやウインドウズはまだ出現していない。インターネットの前身(アーパネット)は軍や大学で細々と使われていたが、臨界点に達するまでにはあと10年を要する。

 ヤング報告書の悲願である米国産業競争力の回復を実現したのが、報告書がまったく期待していなかったパソコンとインターネットだったというのは歴史の皮肉である。ヤング報告書がその競争力を回復しようとしている「産業」とは製造業のことだった。いま委員会招集後15年たってふりかえってみると、製造業は日本をふくむアジアへ出ていったきり帰ってきていない。委員会の悲願だった貿易赤字も減っていない。他方、報告書が儀礼的にしか触れていないサービス業に属するソフトウエア産業(コンテンツをふくむ)の成長が劇的とさえいえる(5)

 ポスト・ヤング報告書時代における技術と経済の変化をみごとに描写した報告書がある。96年5月、米国連邦取引委員会(FTC)スタッフが、産業界の広範なヒアリングにもとづいて作成・発表した報告書「21世紀への見通し−−あたらしいハイテク・グローバル市場における競争政策」(6)である。FTC報告書が指摘する最近の産業のトレンドは、すべてパソコンとネットワークの発展の帰結だったといってよい。

 まず、製品ライフ・サイクルの短縮化が一段と加速している。新製品が6〜12か月で旧型化している。これによって、創業者利潤の役割が決定的におおきくなっている。つまり、新製品を最初に市場に置き(being first)、集中的なマーケティングを投入することによって、短期間に投資を回収し、追随者があらわれて値崩れがはじまったらただちにつぎの新製品に移行するというのが、企業の基本的な生存行動になったのである。これができない企業は、つねに高コストで値崩れ市場に参入することになり、いずれ淘汰される運命にある。そのため、企業は、つねに軽量(lean)、敏捷(agile)、柔軟(flexible)でなければならない。こんなことができるためには、投資から販売まで一貫したコンピューター・ネットワーク化が必要である。

 これはなにも機器メーカーだけのことではない。報告書は、アパレル(衣料)でもこの革命がおこったことを指摘している(7)。かつてのように、大量生産と高圧販売によって膨大な流通在庫をつくり、それを巨大なマスコミ宣伝で売りさばき、動きがとまったとみるやクリアランス・セールやダンピングで一掃するという重い商法が、消費者の好みの多様化とともに、パソコン・ネットワークで注文生産をこなすミニ・ブティックの軽いフットワークに敗れた。食品でもおなじことがおこっている。コンビニで、お握りの品揃えを1日3回客層によって変化させるという芸当を可能にしたのはPOSである。多種少量生産が規模の利益と矛盾しないのは、パソコンとネットワークのおかげである。コンピューター自体も軽量化が続いてている(たとえばRISCやJAVA)。社会全体が軽量化へむかっている。

 FTC報告書がつぎに指摘しているのが、情報市場における収穫逓増現象(需要者サイドの規模の利益)である。あるOSのシエアがあがれば、それに付着するアプリケーション・ソフトウエアが増え、そのことがさらにそのOSのシエアを押しあげるという、出力と入力の間のプラスのフィードバック(マイクとスピーカーの間のハウリングが例)現象である。第1参入者(first-comer)が技術標準をおさえて、すくなくとも一時的には不敗の地位を占めることになる。マイクロソフトやインテルがそうである。もっとも、この現象は、前述のライフサイクル短縮化現象とは矛盾するものであって、標準支配に安住する者は、つぎの技術革新では敗者になる可能性がむしろ高い。かつてワープロの覇者であったワングがその例である。ビル・ゲイツがネットスケープに最大の脅威をみているのも、これがわかっているからである。技術標準の覇者こそ、標準の変化に対して最も敏感でなければならない。標準は支配するものではなく、操作するものである。

 FTC報告書の第3のポイントは、上のふたつの現象が、いまだかつてみないグローバルなスケールでおこっていることである。ヤング報告書は、その時点ではまだまだ孤立的傾向にあった米国製造業に対して、グローバル化の必要を訴えたものだった。米国製造業のグローバル化は、やはりポスト・ヤング報告書の現象である。製造業のグローバルな軽量化で、世界中の工業製品の在庫量が激減しているものとおもわれる(8)。米国のアパレル製造業が中国の量産品攻勢を凌いだのも、多種少量生産へのシフトによるものだった。また、こちらはモノではないが、ASEAN各国の通貨危機では、ヘッジファンドという軽量投資を中心とする米国がいちはやく売り逃げて、不動産や工場進出のような重量投資にかたよっていた日本企業がババをつかんでいる。今までモノ貿易中心に推移してきた通商問題が変質してきている。これらすべてがパソコンとネットワークのもたらした変化である。

 1)軽量化、2)標準操作、3)グローバライゼーションという3つの波に乗れない国家・産業・企業は衰退の道をたどらざるをえないことを、FTC報告書は暗示している。 

2.技術法の変化:

 FTC報告書が指摘する1)軽量化、2)標準操作、3)グローバライゼーションというおおきな波との対比でみた場合、ヤング報告書が提唱した知的財産権の保護強化というテーゼがいまでもそのまま妥当するかどうか、強い疑問を感じざるをえない。知的財産の盲目的な保護強化は、FTCの3つの波のそれぞれとコンフリクトし、世界のトレンドに対して反動的に作用する可能性がある。20年(特許権)、50年(著作権)という気が遠くなるほど長い保護期間、生産使用譲渡貸与展示輸入(特許権)、複製上演送信頒布貸与(著作権)を差し止めることのできる生殺与奪の権を中核とする絶対主義以来の知的財産権が、この軽量化時代の産業にとって、重すぎるのである(9)。私が本稿を知的財産法ではなく技術法と題した理由がここにある。

 まず、日本には60万件余の特許が存在し、その70%弱がいわゆる休眠特許である(10)。これは80年代、ということはヤング報告書時代、米国からの特許攻勢に対抗するため大量出願した特許のデッド・ストックなのだが、ただのデッド・ストックではなく、だれかが踏めば爆発する対人地雷である。この軽量化時代、短期間でつぎつぎと新製品を開発しなければならない日本企業は、他人の特許を調査回避するための膨大な特許部員と、うっかり踏んでしまったときにそなえて膨大な対抗特許群をかかえるという重いコストを背負っている。保有特許権を資産計上している企業はすくないが、もししたならば、日本企業の総資産回転率はさらに悪化するだろう(11)

 つぎに、標準や基幹技術を特許化し、それに経営を依存させてしまった企業は、わずかなあいだ超過利潤をおさめるが、あたらしい技術に機敏に追随できなくて滅びる。ふるい話ではPAL特許のAEGテレフンケン、最近では前述した9チップ30ピンSIMMのワングなどがその例である。知的財産権は、遅効性の甘い毒薬である。FTC報告書は、企業が、R&D投資を、知的財産権による超過利潤の獲得より、市場一番乗り(being first)のためにやっていることを指摘している。MPUにおけるインテルの市場力が特許にたよっていないことは有名である。

 知的財産権のアンチ・グローバライゼーション的性格をもっとも極端にあらわしているのが、知的財産権を利用した並行輸入制限である。昨年の最高裁BBS判決(12)は、特許法は国によってちがうから権利の数は国の数ほどあるという擬制で、特許権の国際消尽を否定した(13)。おかげで、半導体のようなグローバル商品のメーカーは、最初の販売国だけでなく、半導体やそれを組みこんだ機械製品が国境を越えて転々流通していく世界中の特許を調べてからでなければ安心して売れなくなった。一片の発明が数百の特許権に化けて、GATTが半世紀かかって作りあげようとしてきたグローバル・シングル・マーケットを寸断することになったのである(14)。 

3.技術法のあたらしい方向:

 産業革命以来250年の歴史のなかで、無数の技術者たちの夢をとにもかくにも支えてきた知的財産システム(15)が生きのびるためには、軽量化、標準操作、グローバライゼーションという時代の課題を解決しなければならない。

 まず、知的財産権の本質を、差止請求権から報酬請求権へシフトさせる必要がある(16)。知的「財産」から知的「商品」への脱皮である。これならば休眠特許もミニ技術情報に変身する(17)。特許権も著作権も、差止めの身代金という絶対主義の重い遺産を捨てて、自由で透明な市場のなかで生きる新しい知的商品として復活する(18)。この点でぜったいに必要なのが、特許権ライセンス価格(ロイヤルティ)情報の透明化である。現在、知的商品の価格情報は、売り手側に一方的に偏在していて極端な非対称になっている。これでは知的商品市場が離陸できない。科学技術庁の報告書が国際ライセンス取引きの年次統計を発表しているが、契約条件のトレード・シークレット性を懸念するあまり、重要な情報を統計的な暗号のなかに隠している。ロイヤルティ情報をもっと大胆に公表すべきである。企業のコスト情報はたしかにトレード・シークレットだが、そのほんの一部にすぎない特許料支出などをこれほど神経質に隠さなければならない理由としては、放漫な経営者の自己保身以外に思いつかない。また、ライセンス契約におけるロイヤルテ ィ以外の拘束条件は、現在でもかなりの類型が独禁法違反かミスユースになっているが、これをもっと拡充し、たとえば最恵国待遇や地域制限まで取りこむべきである(19)

 つぎに、技術標準を知的財産権の対象にしない方策が必要である。これは、ふつう標準指定団体の規約でやっていることだが、それだけでは実効がない(DVD−RAMの例)。知的財産法内部の論理だけでは困難なので、外部から、独禁法でしばりをかけることになろう。FTC報告書は、技術標準をクレームする特許権の行使に対して独禁法を適用した事例を報告している(20)

 さいごに、並行輸入問題にみられる知的財産権のアンチ・グローバル性というかローカル性だが、これも知的財産法内部の論理、つまり消尽論ではこれ以上どうにもならないだろう。やはり外部から、独禁法と、国際的な独禁法といえるGATT・WTOが介入する必要があろう(21)。もうひとつ、知的財産法が国別になっていること(属地性)は、絶対主義の副産物をナショナリズムが引き継いだという歴史の偶然と、それをそのままにしておいた人類の怠惰の結果にすぎない。EUの共同体特許権構想(CPC)が塩漬けになっているのを冷笑していないで、日本がこれをを引き継いで世界特許権構想にまで発展させ、本気で世界に向かって提案してはどうか(22)。歴史上あまり偉大なことができなかった国民が「豊かな小国」に安住してしまうまえに、世界のためになにかできないか。

 20世紀の重苦しい産業社会からぬけだして、21世紀の軽やかで繊細な情報化文明の基盤を作るため、あたらしい技術法は、知的財産法と独禁法をたがいに抑制均衡させることによって、グローバルな製品市場での自由かつ透明な競争の確保をめざさなければならない。 

1 本稿は、1998年4月2日日本機械学会での私の基調講演を修正加筆したものである。

2  Global Competition -- The New Reality, The Report of the President's Commission on Industrial Competitiveness (U. S. Government Printing Office, January 25, 1985).

3 たとえば日経新聞98年7月14日経済教室。

4  たとえば日経新聞98年1月20日社説。

5  半世紀にわたるGATTの自由貿易体制を支えてきた理論的根拠は、「ヒトとカネの移動が不自由な世界では、モノの国際貿易を自由化することによって、各国がそれぞれ比較優位を持つモノの生産に特化し、世界的な資源の最適配分と生産量の最大化が実現する」という、リカードゥのいわゆる比較優位モデルであった。しかし、80年代にはいると、いわゆる戦略貿易政策論者たちによって、リカードゥ・モデルでは説明できない通商現象が続々と指摘されるようになった。つぎにのべる収穫逓増現象などもそのひとつである。自由貿易体制の理論的根拠が揺らいでいる一方、戦略貿易政策論のほうもリカードゥ・モデルにとって代わるべき統一的な世界通商モデルを提示できないでいる。このような両すくみ状況のかなたに、リカードゥが考えていなかったサービスをふくむ拡大比較優位モデルが見えてくる。これによれば、米国が比較優位を持つサービスと、日本が比較優位を持つモノとのあいだの国際分業(技術貿易における日本の年間赤字4千億円も米国の黒字2兆円もサービス収支にふくまれる)が両国にとっても世界にとっても効率的である。米国がモノの輸入に対して保 護主義に走るのはあきらかにこのモデルに反するが、日本が世界最強の製造業に負担をかけてまでサービス産業の保護・振興(知的財産権の盲目的な保護強化がこれにあたる)に向かうのも逆行であろう。国際分業というリカードゥの智恵がわかっていながら、産業全分野にわたって日本が米国を追い、その日本を韓国が追うというパターンにおちいっているのは、まさに「囚人のジレンマ」にほかならない。

6  Federal Trade Commission Staff Report, ANTICIPATING THE 21ST CENTURY-- COMPETITION POLICY IN THE NEW HIGH-TECH, GLOBAL MARKET PLACE, Volume I (U.S. Federal Trade Commission, May 1996). <http://www.ftc.gov/opp/global/gc_v1.pdf>。

7  Id. Ch. 1 at 20。

8  たとえば日経新聞98年1月8日「松下、世界で在庫半減。拠点間の受発注電子化」。

9  社会に負わせているこのような重荷にもかかわらず知的財産権が存在できる理由は、それが革新のインセンティヴになるという1点に尽きるのだが、いますぐ売れる新製品の開発圧力にされされている個々の技術者の観点からミクロに見たら、20〜50年後払い、しかも不確定な報酬がどれほどの意味を持つのだろうか。なお注15を参照されたい。

10  日経新聞96年9月4日。特許庁は古い特許の年金を大幅に引き下げることを考えているらしい(日経新聞97年12月14日)が、これでは休眠特許をさらに増やすことにならないか。

11  プログラム著作権でもおなじことがいえる。プログラムのライフ・スパンなどはぜいぜい4〜5年である(IBMメインフレームOSの30年というのは異常に長い。だからダウンサイジング時代に敗れたといってよい)。どこの業界でも、利潤最大化のためには需要関数の全変域にわたって供給すること、したがって低所得層の需要を開発し、高所得層の買い替えを促進する中古品市場の存在が、経済学的には必然なのだが(自動車がいい例)、ソフト業界が中古ソフトにこれほど強い敵意を示す(日経新聞98年7月9日)のは、自動車にくらべて自分のライフ・スパンの短さを意識しているからにほかならない(事業が刹那的なのである−−といっても、これが21世紀のソフト産業の典型であろう)。ともかく、プログラムのライフ・スパンが終わったあと何十年も権利だけ存続し、それがどんどん累積していく(しかも、特許とちがって、公示制度がない)というのは、子々孫々に対してツケをまわしていることになる。知的財産権はしょせん"Winner Takes All"の世界だが、それにも限界はあろう。88年ベルヌ条約加盟以前の米国著作権法905条(著作権表示をつけないで5年以上頒布すると著作権が失効する)のような取引き安全装置が必要ではないか(ベルヌ条約では不可能だが)。

12  最高裁平成7年(オ)第1988号平成9年7月1日第三小法廷判決(裁判所時報1198号平成9年7月15日9頁)。

13  別の根拠(国際取引安全論)で、別段の合意表示ない場合、特許製品の並行輸入を認めた。なお注21を参照されたい。

14  特許権を利用した世界市場分割に熱心なのは米国の医薬品業界だが、医薬品についても、FTC報告書は、市場分割による世界的な生産余力が発生しており、それが輸入障壁の軽減によって再調整されることになるだろうと予測している(FTC, op. cit. Ch. 1 at 8)。

15  知的財産権システムの革新インセンティヴはこのようにマクロにとらえてはじめて意味を持つ。知的財産権のインセンティヴ・システムが美しい「夢」でありつづけるためには、それはフェア(公正無私)であることがなによりも重要である。米国の特許商標庁やCAFC(巡回控訴裁)はこれがわかっていて、法律にもとづく厳密な審査をすくなくとも建前にしている(本間忠良「米国におけるプロパテント運動の幻影」『パテント』97年12月号)。日本では「登録官庁から政策官庁への脱皮」(『特技懇』98年7月号2頁)などといっているが、公正無私な審査審判官庁であることを廃業したわけではあるまい。おなじ雑誌が「特許行政の過不足のない寄与」(下線筆者)といっており(前掲誌98年2月号4頁)、むしろ若手がまじめに考えていることがわかる。また、日本では出願に対する特許付与率がほぼ25%で長年安定していたのに、96年突然倍増して<http://www.jpo-miti.go.jp/soryo/tourui.htm 98/05/22>米国のそれ<http://www.uspto.gov/web/offices>に急接近したなどというのも単純な偶然であることを祈るものである。知的財産制度を矮小な政略の具にしてはならない。いちばんこわいのは、知的財産制度そのものに対する技術者たちの信頼が揺らぐことだ。通産省は「個人を企業と並ぶ経済政策の基軸に据える」案を持っており(通産省『今後の通商産業政策の検討課題』98年6月)、趣旨にはおおいに賛成だが、これの知的財産権版では、発明屋やパテント・マフィアをいい気にさせないようにしなければならない。第2のレメルソンやハイアットになるためにはかなりのアウトロー性が要求されるのだが、特許制度を支えている大多数の技術者は、家族とのささやかなしあわせのために、会社での日々の仕事に追われているふつうの人々なのだ。

16  「報酬請求権」と簡単にいうが、これを具体化するとなるとかなりハードな思考を必要とする。報酬請求権化が比較的進んでいる著作権においては、報酬額が個別交渉でまとまらない場合、行政による裁定を背景とした権利者・利用者団体間の交渉(「西ドイツ方式」と呼ばれることがある)が欧日での主流だが、団体形成にともなう競争者間のカルテル(独占禁止法が適用除外になるケースもある)、管理団体の増殖、著作者や実演家の群居心理促進(非個性化)というマイナス面がある。西ドイツ方式よりも、司法判例の集積による「合理的ロイヤルティ」判決の方が市場原理になじみやすく、よりフレキシブルである。そのためにも、つぎにのべる「ロイヤルティ情報の透明化」がどうしても必要になる。また、知的財産権にまつわる道徳的妄想を払拭する必要がある。すくなくとも故意でない知的財産権侵害は、有体物を盗むこととおなじではない。この点で、特許権侵害の賠償額をやたらにあげようという主張(たとえば日経新聞97年2月21日)は、事実(「米国での賠償額が1件平均100億円」!?)および法律(逸失利益・合理的ロイヤルティいずれも市場の関数であり、また3倍賠償などは英米法の歴史の産物であって、一片の特許法改正などでできるものではない)上の根拠を欠くばかりか 、政策的にも逆行である。

17  特許庁が始めた特許マップ(日経新聞98年1月22日(夕))などが期待できよう。

18  発明協会やテクノマートが進めている特許権の流通促進、日立が20年来やっている特許開放政策などに期待できよう。ただし、これを法律でバックアップする必要がある。

19  このような提言が80年代以来の米国行政府のトレンドに反することはわかっている(司法部にはもともと行政府のような政治的偏向はない)。しかし、98年のマイクロソフトとインテルに対する司法省と連邦取引委員会の攻撃を見るまでもなく、米国司法省の95年ガイドラインを冷静に読むと、レーガノミクス全盛期の88年ガイドラインにくらべてはるかに反トラスト寄りに振れもどっていたことがわかる。また、ライセンス条件の「例外なき金銭化」は、WTOにおける輸入障壁の「例外なき関税化」とその経済学的発想を共有する。

20  FTC, op. cit. Ch. 8 at 5, In Dell Computer Corp. (File No. 931-0097, Nov. 2, 1995)。

21  BBS事件最高裁判決は、「販売先ないし使用地域から我が国を除外する旨を『合意(・表示)した場合を除いて』、特許権者は特許権の行使ができない」といっているが、これをもって「『合意(・表示)した場合』、特許権者は特許権の行使ができる」と解釈するのは論理的に誤りである。判決は「合意(・表示)した場合」を白紙状態におき、今後の法(と慣行)の発展にゆだねたのである。また、かりに百歩を譲って、そのような反対解釈が可能だとしても、かかる合意は、市場分割合意として、独禁法違反とされる公算がきわめておおきい。また、EUでは、知的財産権を利用した一方的な市場分割をつねにEC条約30条違反としてきたが、GATT加盟国間では、EC条約30条と同趣旨のGATT11条がおなじ役割をはたすことになろう。なお、本間忠良「並行輸入問題に関する国際法協会国際通商法委員会報告草案について」『TRIPS研究会報告書』(98年3月、公正貿易センター)も参照されたい。

22  ここで世界特許「権」といっているのは、PCTやEPCのような手続きだけの統一ではなく、CPCがめざした単一の特許権の創設である。特許庁若手グループはすでにこの構想を持っているらしい(技術懇話会「21世紀ビジョン」『特技懇』98年2月号)。おなじ21世紀懇でもこちらの方が正解である。