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ネットワークと競争政策−−「哲学の貧困」(講演原稿)

 

20071117日 明大法科大学院JASRAC寄附講座

 本間忠良 

 

目次

はじめに

1. インターネット

 1. 1. インターネットのアーキテクチャー

 1. 2. 「哲学の貧困」

2. 次世代ネットワーク(NGN

 2. 1. NGNのアーキテクチャー

 2. 2. IPマルチキャスト

3. 競争政策からの視点

 3. 1. 概念の整理

 3. 2. 閉域網の反創作性

3. 3. プライバシー

 3. 4. 地域独占

3. 5. ネットワークの中立性

4. 新世代ネットワーク(NewGN

 41.米国

 42.日本

おわりに

あとがき−−アナルコ・キャピタリズム

 

はじめに

 

論点を絞るため、ここでは、「ネットワーク」を、「動画コンテンツ配信のための有線通信網(コンテンツ・キャリアー・ネットワーク)」と狭く鋭く定義します。したがって、劇場用映画の配給やテレビ放送は含みません。携帯電話や携帯端末についてもここでは議論しません。このような消去をおこなうことによって、現在および近未来において実用可能性のある「映像コンテンツの有線通信網」を次の3つに絞りました。それぞれについて、これから順に説明して、競争政策の観点からの私の感想を申し上げます:

 

・インターネット。

・次世代ネットワーク(NGN)。

・新世代ネットワーク(NewGN)。

 

1. インターネット

 

1. 1. インターネットのアーキテクチャー

 

インターネットのことはだれでも知っていますが、誕生から40年近くたちましたので、若い人にとっては、自然物のような感じになっていて、これが歴史の産物であることがピンと来ていないかもしれません。歴史のなかに生きている人間にとっては、歴史の全体像を見ることは困難です。40年後に振り返ってはじめてわかることもあります。あたらしい視点から、インターネットを振り返ってみましょう。

 

インターネットは1969年のARPANETが原型です。これの開放・分散・発信型[1]というアーキテクチャーは、はじめは災害や戦争を顧慮したものですが、これがたまたま当時の米国人−−とくに若い人たち−−の個人主義的/アナーキスト的傾向にぴったり一致したのです。

 

インターネットは、世界中に分散配置された13基のルート・サーバー群を最上層として、その下にDNSサーバー(URLIPアドレスを変換するサーバー)のネットワークを配置し、それぞれの間も直接(private peering)またはIXInternet Exchange)経由で接続するするという広域分散システムで、ソ連からの核攻撃があっても、すくなくともその一部が−−ということは機能的には全体が−−生き残れることを狙った、恐怖の均衡の時代の産物です。災害などで電話が止まっても、インターネットが機能しているのはこの分散構造のせいです。

 

 

インターネットでは、すべてのサーバーが多重冗長構造で接続しています。中核になるルート・サーバーは、理論的には世界に1基あればいいのですが、冗長性確保のため13基あるのです。ただ、2002年と2007年、ルート・サーバーに大規模なハッカー攻撃(クエリー・バースト)がかけられ、部分的に機能麻痺に陥ったことがあります。現代的なソフトによる攻撃には弱いといわれます。

 

ARPANETは、はじめは核戦争を意識した軍部の発想だったのですが、それが大学に移管されたとき、当時のヒッピー文化の影響を受けました[2]。このことは、当時シカゴ大学の政治学大学院で、IBM/370の端末室で冷汗をかいていた私の実感でもありました。ヒッピー運動を、あたらしいアナーキズムと位置づけた小論文を書いた覚えがあります。

 

当時はパソコンがなかったので、大学のメインフレーム間の、いまでいうp2pでした。いまのパソコンの性能は当時のメインフレームをしのぎます。だから、p2pがやはり究極のネットワークの姿だと思います。グローバルな検索システムがこれを支えます。これは、その後の米国の、とくに若い人たちのサブカルチャーにおける一般的なアナーキズム/多様化傾向と方向が一致します。インターネットは歴史の産物だったのです。            

  

1. 2.「哲学の貧困」                                 

 

次の話題に進む前に、今日の議論の対象である「有線送信される動画コンテンツ」について、ちょっと考えていただきたいと思います。私は、今日の議論のために、これをつぎの4種類に分類しています:

 

・テレビ放送の同時再送信。

・劇場用映画のVoDVideo on Demand)。

・過去のテレビ番組(アーカイブ)のVoD

・自主制作コンテンツの送信可能化。

 

私は、最初の「テレビ放送の同時再送信」と次の「劇場用映画のVoD」には、あまり学問的な関心を惹かれません。というのは、法的にも経済的にもほとんど問題がないからです。

 

あとでお話するIPマルチキャストとの関連でいま話題になっているのが最初の「テレビ放送の同時再送信」ですが、これは地上波テレビ放送の難視聴対策という以外、何の社会的役割もなく、官庁間の縄張り争いが新聞種になっているだけです。

 

2番目の「劇場用映画のVoD」は、最初の「同時再送信」なんかと違って、あたらしい重要なコンテンツ・サービスですが、劇場用映画の著作権は映画製作者に帰属するので(著291項)、法的には問題がないし、経済的にも権利者と配信事業者の相対(あいたい)取引きなので、競争さえ確保されていれば、なにも問題がありません。実際、活発に行われています。

 

3番目の「過去のテレビ番組(アーカイブ)のVoD」が問題です。毎日々々放送されるテレビ番組は、映像コンテンツの宝庫ですが、これのいわゆる二次利用が、著作権問題で動きが取れなくなっていて、ぜんぜん行われていないのです。このボトルネックを打破できれば、映像文化の発展のために非常に役に立つはずですが、テレビ局にはこのインセンティブがぜんぜんありません。まさに市場の失敗で、政府の役割がいちばん期待されるところですが、これも官庁間の縄張り争いで動けなくなっています。

 

4番目の「自主制作コンテンツの送信可能化」は、インターネットのユーザーからの発信によって供給されるコンテンツ−−Consumer-generated ContentsCGC)を含みます。今後いちばん期待される分野ですが、日本では、先進国に類のない送信可能化権でがんじがらめになっています。

 

分類が終わったところで、つぎに、インターネットでの動画コンテンツ配信が、各国/各業界でどんな状態にあるか、私が観察したところを申し上げます。すべて実見しています。

 

日本のテレビ局は、放送免許の地域独占に安住していて、インターネットでの動画配信にはあまり熱心ではありません。まあ各社お義理のようにやっていますが、ニュース/天気予報/番組予告ぐらいが主で、権利処理が面倒な過去番組(アーカイブ)の二次利用はほとんどやっていません。テレビ局のやる気のなさに業を煮やしたインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)が、テレビ局の乗っ取りを試みています(たとえば楽天によるTBS/ライブドアによるフジテレビなど)が、今のところうまくいっていません。乗っ取りに成功したからといって、番組の送信可能化権が自由になるわけでもないので、いくらか思い込みもあるようです。

 

米国では、ICT産業(コンピューター・メーカー/通信サービス/ISPe-コマース)が、コンテンツ配信こそが次世代の鍵だと考えて、試行錯誤しながらも、熱心にやっています。Applei-Tunesは、コンテンツ配信業者(たとえばCBS)からパソコンやi-Podにとりこんだ動画を無線でテレビに飛ばして視聴できます(CMなしダウンロード1番組2ドル)。AmazonAOLWal-Martもやっています。いずれも開放・分散・発信型のインターネットです。コンピューター・メーカーは、テレビをパソコンのモニターにすぎないとみています[3]

 

米国では、テレビ局もはげしい競争下にあり、動画配信も熱心にやっています。すべてアーカイブのVoDです。たとえば20074月、ABCが一部番組のインターネット無料配信を始めました(CM入り)。Time Warnerも一部番組で始めています。CBSも当日および過去のニュース番組をインターネットで配信しています(CM入り)[4]NBCi-Tunesへの配信料金をめぐってAppleと激しくやりあう一方、NBCDirectと称して、無料でインターネットからパソコンにダウンロードCM入り)できるサービスを始めました[5]NBC-Fox合弁のHuluは、好きなクリップを切り取り、編集して友人に送信できます(CM入り)[6]。翻案権を開放しているわけです。あとで述べる閉域網ではこんな芸当はできません。

 

最近、圧倒的におもしろかったのは、ニューヨーク市営テレビNYCTVの無料VoDです[7]。市営といっても、エミー賞を何回も取っているリッチ・コンテンツを含む何百というクリップをアーカイブからサーチして見ることができます。著作権を気にしているらしく、リポート番組が主ですが、ライブハウスのリポートでは、音楽をもろに1曲聴かせてくれます。日本なら送信可能化権侵害だといわれそうですが、公正利用一般条項のおかげで、のびのびとやっています。ローカル局とはいえ、世界のニューヨークですから、NHKのローカル・ニュースと違って、元気にあふれています。まさにソフトパワーです。気に入ったクリップをメールで友人に送ることもできますし、ハイパーリンクをコピーすることもできます。複製権を開放しているわけです。いずれも閉域網では無理ですね。NYCTVは日本で放送免許を持っていないから、総務省がなんと思っているか、興味のあるところです(あとで申し上げる日本のIPマルチキャストには地域限定つきの登録を出しているのに・・)。

 

英国では、20077月、BBCが、前週放映された番組の60-70%に及ぶ400時間分のアーカイブから、視聴者が選んだ番組(人気ショーを含む)を無料(法的義務であるTV視聴料は別ですが、NHKが考えているような視聴料のDRM[8]はしていません)でインターネット経由パソコンにダウンロードできるサービス(iPlayer)を始めました。DVDなどの固定媒体へのコピーが禁止されており、視聴後またはダウンロード後30日で自動的に消去されます[9]。英国所在のパソコンに限定されています(やってみましたが断られました−−Geo-IP Techology−−IPアドレスのサブセットで国まではわかります)。視聴料を強制徴収している国営放送だからでしょうね。Applei-Tunesが、やはりテレビ放送番組配信に参入してきたのでおもしろくなりそうです。設備増強に大金がかかっているのに・・と、通信会社が怒っているそうです(あとで話す「ネットワークの中立性」問題です)。

 

フランスでは、20064月、国立視聴覚研究所[10]INA−−世界最初の視聴覚コンテンツ・アーカイブで、一定の番組の「納本」を義務づけている)が、10万本にも及ぶテレビ番組のアーカイブをインターネットで公開するサービスを始めました。番組数の80%は無料、映画などは有料です。地域制限はありません。国民国家の統一を保つため、地方独立運動を嫌っているのだという解説を見ました。わけもなくローカリズムにしがみついている日本と比べて、ちょっと驚きました。外国からのアクセスも可能です。選ばれた番組のインターネット配信です。インフラはまだADSLで、ケーブルも衛星も普及していません。テレビ局とインターネット配信事業者の力関係にまかせるのではなく、国が政策としてコンテンツの保存と公開を義務づけています。インターネットを、西欧が世界に誇る文明のメディアと位置づけているところが、フランスらしいですね。

 

欧米先進国のコンテンツ・ネットワーク政策の底には、強烈な歴史的/思想的信念があります。日本にはこれがありません。公的/私的な規制だけが先行しています。私はこのことを、Marxの本の題名を取って、「哲学の貧困」と呼んでいます。

 

2. 次世代ネットワーク(NGN

 

2. 1. NGNのアーキテクチャー

 

インターネットは40才になりました。パケット送信とインターネット・プロトコルというその基本的アーキテクチャーも永遠のものではありません。すでにいろいろな次世代ネットワークや新世代ネットワークが提案されています。いずれもまだ模索段階で、はっきりした形をとっていないし、この種の提案の例に漏れず、いいことばかり言っているので、よくわからないのですが、いまの日本の文化の中核といえるポップ・カルチャーの視点から、ひとつの基準を仮定して、なんとか判断してみましょう。基準とは、提案されているネットワークが、インターネットのような開放・分散・発信型か、それともテレビのような閉鎖・集中・受信型かという基準です。

 

いま欧州と日本で、NGNNext Generation Network次世代ネットワーク)が話題になっていて、日本では来年から商用開始だそうです。ちなみに、米国ではほとんど話題にもなっていません。何に対して「次」世代というのでしょうか? インターネットに対して? それともp2pに対して? あとで話すNew Generation Networkというのもありますので、混同を防ぐため、ここでは、それぞれをNGNNewGNと呼んで区別しましょう。

 

まずNGNです。ある技術者がこう言っています。「NGNとは、IP技術を用いて電話網を構築し直すことにより、電話網の安心感や簡便さを保ちつつ、電話やテレビ会議、ストリーミングなど多様なサービスを柔軟に提供できる統合IP網を提供する技術です。回線交換技術を使う電話網が将来廃棄された時、替わって社会インフラとなる通信網を提供します。NGNは、信頼性や安心感の欠如が指摘される現在のインターネットに対する、電話網からの回答です。・・現在のIP網ではQoSquality of service)の保証や通信相手の認証などが十分に行われているとは言い難[いのです]。・・エンドユーザー機能では、認証のため、全端末にSIMカード相当の機能を持たせることが検討されています。網管理機能は、電話網の管理に使われてきたTMN (Telecommunications Management Networks) の枠組みを利用します。・・このアーキテクチャの特徴として、網内に様々な機能を盛り込んだことが挙げられます。・・ステューピッド・ネットワーク[11]とはしません」[引用中の下線は筆者追加]。

 

説明が要りそうですね。インターネットでは、エンドからエンドへの通信が、どういう経路を経由しておこなわれるは、まったく偶然に決定され、途中の混雑を迂回しながら流れていくので、エンドへの到達はいわゆる「ベストエフォット」で、だれもそれを保証することはできなかったのです。NGNはこれを保証するといっています。

 

また、インターネットでは、たとえばメールが来ても、これがどのパソコンから発信されたものかわかりません。すべての端末にはいわゆるIPアドレスがついているはずですが、これがプロバイダーのサーバーがそのとき空いているアドレスを割り当てるダイナミック・アドレスであれば、パソコンまで特定することはできません。固有アドレスでも、それを秘匿するソフトはいくらでもあります。NGNでは、固定電話の電話番号と同じく、端末機器がもともと特定されています。

 

どうやら、NGNは、130年前のGraham Bell以来連綿として続いてきた通信システムの大改良で、とくにインターネットをリプレースするという意味ではないようです。「次世代」とは、中央交換機を使う旧来の電話網に対する次世代という意味でした。したがって、NGN(=通信サービス)とインターネット(=情報サービス)は共存します。ただアクセス網はNTTのほぼ独占なので、インターネットに対して、技術的/経済的に干渉する可能性があります。この問題は、あとで「ネットワークの中立性」のところで申し上げます。

 

2010年をめどに、NGNがめざすものは、インターネットが実現した開放・分散・発信型の通信とは180度ちがう閉鎖・集中・受信型の通信です(関係者は「閉域網(closed network)」といっています)。NGNは、いままで固定電話を主たる利益源としてきた欧日の大手電話会社が火付け役で、米国では政府も業界も冷たいようです。米国では、つねに、インフラより、アプリケーションやサービスが先行します(Web 2.0をみてください)。日本とは順序が反対なのです。

 

NGNサービスは、すでに欧州の若干国で始まっています[12]。この状況をみた後発のアジア諸国、とくに中国/韓国/日本の提案で、国際標準の交渉が始まっています[13]。通信系3大団体のうち、ETSIEU系)とITU-T(国連系−−レリース1勧告にもとづき、NTTがフィールド・トライアル開始)は、電話の倫理に立ったネットワークをベースとして標準を策定しようとしています。一方、IETF(米国系−−後述)は、あくまでインターネットの倫理に立って、閉鎖・集中・受信型に対しては否定的です[14]IETFは、分散処理によってユーザーに自由を与える、緩やかなネットワーク像が基本にあります。

 

つぎに申しあげるIPマルチキャスト・サービスは、NGNを通信インフラとして予定しています。保証品質[15]/高価格/重規制のNGNと、ベストエフォット品質/価格ゼロ[16]/無規制のインターネットが、アプリケーション層で競争することになります。

 

2. 2. IPマルチキャスト

 

「放映ずみのテレビ番組がなぜパソコンで見られないの?」というごく単純な疑問から始まった竹中懇談会[17]は、この質問に対する答えとして「IPマルチキャスト」というものを提示しました。竹中さんの疑問は、法的・経済的障害は何かという意味だったのに、懇談会は、法的・経済的には解答なしとみて、技術的障害−−つまり、インターネットでは品質保証や機器認証ができないという障害−−に問題をすりかえて答えを返してきたのです。日本らしいですね。

 

IPマルチキャストの主な特徴としては、以下の点があります[18]。@閉鎖・集中・受信型[19]ネットワークを使ってコンテンツの配信を行う。A放送センターからは、IP局内装置に対して全番組が常に配信される。B最寄りのIP局内装置からは、ユーザーが選んだ番組のみが配信される(リクエストにもとづく送信)。

 

IPマルチキャストは、NGNを先取りした閉鎖・集中・受信型ネットワークで、受信機も専用セット・トップ・ボックス(STB)が必要です。同時再送信では、全経路にわたって、蓄積はおこなわれません(複製権を回避しているのです)。ユーザーからの発信は番組内に閉じています。コンテンツも閉鎖的な公式サイトだけです。

 

さっそくIPマルチキャストを利用してきたのが、テレビ放送の同時再送信です。これは、2001年電気通信役務利用放送法で可能になりました。テレビ放送の同時再送信は、一定の技術/資本/倫理基準を満たした「電気通信役務利用放送事業者」が総務省に登録すればだれでもできます。テレビ局のような免許制ではありません。現在数社が登録されていて、主としてCS放送の同時再送信をやっています。

 

「電気通信役務利用放送事業者」は、@放送再送信には放送事業者の許諾が必要/A正当な理由なく業務区域内での役務提供を拒否できない/B放送番組準則を守る−−などの義務を負います。

 

出典:20068月文化審議会著作権分科会著作権分科会(IPマルチキャスト放送及び罰則・取締り関係)報告書

 

文化庁は、IPマルチキャストは、単一のマルチキャスト・センターから各地方電話局までは全番組を流し、地方電話局に設置されたIP装置から、視聴者の求めに応じて番組を流すという点で、自動公衆送信にあたるという解釈です。ケーブルテレビは受信機まで全番組が流れているという点で「自動」ではないというわけです。すべての著作者と隣接権者が送信可能化権(禁止権)を持っていますから、このままでは、IPマルチキャストは、インターネットと同じく、なにも−−同時再送信も−−できません。

 

そこで、IPマルチキャストは、著作権法平成18年改正で、「入力型自動公衆送信」という名前をもらって、実演家とレコード製作者の送信可能化権の許諾がなくても、彼らに「相当な額の補償金」を支払うだけで、テレビ放送を同時再送信できる「著作隣接権の制限」を与えられました(著1023/5項)。放送事業者の許諾は必要です。また、著作権は制限されていないから、著作権者の許諾も必要です(もっとも、協議が不成立の場合、文化庁長官の裁定あり−−681項)。「入力型」に限定したのは、アーカイブ番組のVoDなどの「蓄積型」を排除する趣旨です。このとばっちりで、いままで補償金支払いなどなかった有線放送事業者にも補償金支払い義務ができました(著94条の2)(いずれの場合も、ビルによる受信障害の補償など、無償非営利の場合は補償金不要)。同時再送信は、放送法が定める対象地域内に限ります。国以下の地域制限ができないインターネットは、同時再送信ができないから、この「著作隣接権の制限」はありません。この理屈が面白いですね。

 

IPマルチキャストは、2011年の地デジ放送移行にともなう難視聴地域対策という補完的な位置づけで、アーカイブ送信や自主制作送信については、まだ、インターネットなみの「不可触賎民」(インドのカースト制度における最低の被差別民)扱いです。

 

放送/IPマルチキャスト/インターネットの三者は、それぞれ相反する利害を持っていて、ちょうど三国志の世界です。著作権に関しては、いままで中立だったNTTがアンチ・インターネットの放送局と、すくなくとも一時的には同盟したことになります。

 

ある技術者がこう言っています。「正規のユーザが受信したデータを不正に流用することを防ぐために、IPマルチキャストでは発信時に著作権者の署名としての電子透かしをコンテンツに埋め込んでから送出し、さらに受信時にユーザ情報の電子透かしを埋め込む、これにより不正コピーに対しての心理的抑止や,著作権の主張といったことが可能となった」[20]。この人は、著作権保護のために、通信システムのアーキテクチャーを変えたと言っているのです。技術が制度を変えていくのではなく、制度が技術の発展を止めるという−−技術者らしくない−−逆転した発想です。もしこの人の言うことがすべてだとしたら、IPマルチキャストも、結局、放送局やレコード会社が陥っているNapster/YouTube被害妄想の産物だったことになります。

 

NGNは始まったばかりのサービスですが、ADSLなどのいわゆるレガシー通信網を使ったIPマルチキャスト(というよりは、伝統的な概念でいうIPTV)サービスは、衛星やケーブルがあまり普及していない欧州では盛んに行われています。ほとんど例外なく、100年の歴史を持つ大手固定電話会社による閉域網で、音声電話とインターネット接続とIPTV3つのサービスを抱き合わせで売っており、トリプルプレーなどとも称しています[21]。抱き合わせですから、他社からの接続を正当な理由なく拒絶したり、接続料金を差別したりすれば独禁法違反です。現にDeutsche Telecomがこの容疑で欧州委員会の調査を受けています。

 

3. 競争政策からの視点

 

3. 1. 概念の整理

 

いま、広帯域IP通信網を使った動画コンテンツ配信サービスの議論をしているのですが、いろいろな言葉が乱れ飛んでいますので、評価にはいる前に、このへんで概念の整理をしたいと思います。次の表は、閉域網のIPマルチキャスト[22]を、開放網のウェブキャスト[23]を対比したものです。 

 

広帯域IP通信網を使った動画コンテンツ配信サービス→NewGN

一般的呼称

ウエブキャスト

IPマルチキャスト

受信端末

PC

STBつきテレビ

ネットワーク

インターネット(開放網)

NGN(閉域網)

配信サイト

自由

公式サイトのみ

ユーザー発信

自由

リクエストと番組内のみ

地域制限

なし

あり

画質・帯域

ベストエフォット

保証

機器認証

なし

あり

プライバシー

あり

なし

課金

クレジットカード

100%捕捉

動画配信サービス

i-Tunes/Joost/NYCTVoD/

i-Player/Hulu/NBCDirect/GyaO  

BBTV/OnDemandTV/4th Media/oneTV/OCNシアター /Branco

他のアプリケーション

グリッドコンピューティング/p2p/ブログ/YouTube/Skype

トリプルプレー/ホーム・ネットワーク/ IP電話/携帯電話

 

3. 2. 閉域網の反創作性

 

IPマルチキャストは、同時再送信では、コンテンツはテレビ局に100%依存していて、著作権と隣接権に関しては、せいぜいいまのところいまのケーブルテレビの地位しか与えられていません。

 

IPマルチキャストは、地デジ放送の同時再送信だけだったら、難視聴地域対策以外の用途はありません。ということは、いずれも、ほんとうは、地上波放送の同時再送信以外のアプリケーション、つまりアーカイブ番組のVoD送信や自主制作送信を狙っているのです。竹中さんの疑問も過去のテレビ番組(アーカイブ)のことでした。

 

過去のテレビ番組(アーカイブ)のVoDと自主制作送信が始まれば、既存の放送局とIPマルチキャストのあいだで競争が始まるのですが、今のところ、IPマルチキャストは、著作権に関しては、インターネットと同じ「不可触賎民」の地位しか与えられていません。だから既存の放送局は安泰です。

 

IPマルチキャストは、ユーザーからの発信が番組内に閉じているので、世界に開いたインターネットとは違います(メールもできません)。いずれも、ユーザーからのグローバルな発信(=表現)がないことから、これらがただのテレビにすぎず、文明マシーンとしてのインターネットをリプレースするものでないことはあきらかです。

 

また、IPマルチキャストは、開放・分散・発信型を特徴とするインターネットとはまったく別の「管理の世界」を構築しようという試みです。官僚のあいだでは、IPマルチキャストが、憲法212項でその秘密が保証されている「通信」なのか、もともと規制の対象である「放送」なのかというような議論が中心で、あたらしい文化−−これは、19世紀西欧のような重厚なクラシック・カルチャーではなく、より軽快でしなやかなポップ・カルチャーだと思いますが−−の創生をどうするのかということなど、誰も考えていないようです。

 

3. 3. プライバシー

 

IPマルチキャスト、というよりNGNのアキレス腱はプライバシー問題でしょうね。私が「機器認証」にとくに関心を持っているのはこの理由です。日本ではまだあまりピンときていないようですが、米国では、プライバシーの権利は憲法より上にある権利だといわれています。デモクラシーの基礎には徹底的な個人主義があります。NGNが米国で人気がないのはこれが理由でしょうね。インターネットには、発信元が突き止められない匿名性という特徴があります。だから、インターネットは、反体制の強力な政治的武器になります。

 

IPマルチキャストでは、課金の根拠として、STBごとにすべての視聴履歴が記録されます。アダルトなんか見た記録が通信会社に残っているのは、気味が悪いですね。それとも、放送番組準則があるから、そんなものは公式サイトに入れてもらえないのでしょうか。NGNのもうひとつの目玉である遠隔診療でも、通信記録がぜんぶ通信会社に残ります。もちろんちゃんと管理してくれるのでしょうが、完全ということはありません。いちど漏れたら回収は不可能です。これ一点をとっても、NGNがインターネットにとって代わることはないと思います。

 

3. 4. 地域独占

 

IPマルチキャストによる自主制作番組の配信は、著作権法のいじめを乗り越えて何とか実現できれば、コンテンツの自由な流通が妨害されないかぎり、コンテンツの製作と流通が多様化するので、文化の振興という観点から歓迎すべき技術です。しかし、コンテンツ流通の強力な障壁があります。それが地上波テレビ局による地域独占です。

 

IPマルチキャストは、事業法でも建前上は新規参入フリー(登録制)ですが、ひとつの重要な問題は、いままで周波数割当免許による独占に安住してきたテレビ局が、独占を必死に守ろうとしていることです。

 

IPマルチキャストには、テレビ地上波のような周波数割当てがないので、理論的には地域フリーでいいはずなのですが、これではいままでの放送局の地域独占(ローカリズム)が崩れるので、この点の抵抗がいちばん強いのです。いま、ケーブルテレビの県外放送問題で、民放とケーブルテレビ業界がやり合っていますが、これは、IPマルチキャスト、さらにはインターネットにまでつながる代理戦争です。ただ、ケーブルテレビ業界は、共通の敵であるIPマルチキャストやインターネットを意識して、いずれ放送局に屈服することになるでしょうね。

 

IPマルチキャストは技術的に地域分割(電話局レベル)が容易なので、放送局の要求にかんたんに屈服しました。現に、いまのIPマルチキャストで登録している数社(主としてCSの同時再送信)に対しては、放送法にもとづいて、県ごとの地域限定配信を実施しているようです。

 

地域のビジネスや文化を考慮したローカリズムは、衛星多チャンネルやキー局慣行ですでに崩れつつあるのに、これにいつまでも固執して情報技術の無限の可能性を抑圧しているのは、社会的に大きな損失です。前に述べたNYCTVoDは、世界中から見られていて、ニューヨークの大きなソフトパワーになっています。

 

地上波放送の地域免許独占は、周波数割り当てという正当化理由から許されているのですが、周波数の制約のないネット配信で地域独占をやれば、重大な独占禁止法問題を惹起します。

 

この点で、いまの公正取引委員会が、周回遅れのシカゴ学派が主流で、地域分割に甘いことが気にかかります。1995年当時のシカゴ学派は、知的財産権の保護強化がつねに革新を促進すると超楽観的に考えていたのですが、ポスト・シカゴ学派は、事業者が、知的財産権の保護強化などの政策を、自分の短期的利益のために戦略的に利用するので、結局政策のねらいが無効化されるとして懐疑的です。

 

竹中懇談会の最終報告書は、「地上波デジタル放送のIPマルチキャストによる再送信(ここでは「同時」といっていないので、過去の番組の送信も含むでしょう)」と題して、次のように言っています。「地上波デジタル放送のIPマルチキャストによる再送信を行う際、送信範囲を現行の地上波免許に定められた放送対象地域に限定すべきとの議論があるが、デジタル化/IP化の特徴の一つは、距離や地域の制約を取り払うことにあり、地方局の番組制作力の強化と経営基盤の充実に資する面もあるため、基本的には再送信に地域限定を設けるべきではないと考えられる。しかし、本来この問題は事業者の側で判断すべき事柄であり、行政の側がその判断に積極的に関与することは適当ではない。従って、行政は、基本的には難視聴地域への地上波放送の到達のための補完手段としてのIPマルチキャストは推進すべきであるが、それを超える部分については、各放送事業者が自らの判断により、関係者との協議を踏まえて決定すべきである。例えばキー局の番組を再送信した場合の地方局の経営への影響等、現実には様々な問題が生じ得るので、それへの配慮は必要である」[24]

 

つまり、IPマルチキャストにおける地域限定は、周波数割り当てという正当化理由がないから望ましくはないが、事業者の問題だから、総務省は口を出さないということです。事業者の問題だということは、独占禁止法の出番だということです。インターネットやIPマルチキャストでの地域限定は、放送局が単独でやれば私的独占で、共謀でやればカルテルの可能性があります。いずれも刑事罰があります。

 

3. 5. ネットワークの中立性  

 

私は、先ほど、インターネットとNGNは共存するといいましたが、いまは少し自信がなくなってきました。というのは、最近、「ネットワークの中立性」という論争が業界を揺さぶっているからです。ことの発端は、AT&TVerizon/Deutsche Telecomなどブロードバンド回線を所有する通信会社が、大量のデータをやりとりするユーザー企業から、現在よりも高い料金を徴収するシステムを構築する−−具体的には、ネットワークのスピードを変える「帯域制御(packet shaping)」によってユーザーを差別し、価格交渉力を獲得する−−という構想を発表したことです。通信会社側では、こういうヘビーユーザーが一般顧客のアクセス速度を低下させる原因になっていると言っています。

 

これに対して、GoogleeBayYahooなどのインターネット事業者は、ネットワーク上でのトラフィックの流れを決定する権利が通信会社に与えられた場合、通信会社がインターネットの「キング・メーカー」になって、恣意的な帯域制御で、ネットワークの世界での勝者と敗者を決定するようになるとして、通信会社のこのような行為を禁止する立法を求めています(電話の場合は、1966年通信法がこの趣旨の規定を持っています)。Googleは、ロビィングと並行して、太平洋海底ケーブルを自前で敷設する計画を発表して、通信会社を牽制しています[25]

 

最近、ケーブル最大手のComcastが、p2pBitTorrentによる送信を遮断したといって、消費者グループからFTCに提訴されています[26]

 

この問題は、一見業界間の綱引きにすぎないようですが、ほんとうはもっと構造的な問題です。これから、IPマルチキャストによるテレビの同時再送信やコンテンツの画質保証が増えていくと、帯域制御が恒常化して、インターネット通信がどんどん圧迫されていくことになるからです。全体としての伝送インフラ(光ファイバー)が増えればいいのですが、通信会社にとっては、そのインセンティブがありません。また、かりに増やしたとしても、やはり帯域や画質保証をしているIPマルチキャストのほうに優先配分するでしょうね。最近NTTが、2010年までの光ファイバー敷設目標を3000万件から2000万件へ下げましたね。投資を抑えて、利潤最大化に転じたというところが、典型的なモノポリスト行動です。やはり垂直分離が正解でしょうか。

 

起こりそうな問題→   ↓接続拒否 ↓帯域制御

アプリケーション層

OCNシアター

BBTVほか

ウエブキャスト

プラットフォーム層

NGN

インターネット

物理層

光ファイバー網

 

下の表は、有名なOSIOpen Systems Interconnection)の基本参照モデルで、異機種間のデータ通信を実現するためのネットワーク構造のアーキテクチャーを規定しています。ここで重要なことは、各層が技術的にまったく独立で、たとえば、アプリケーション層である電子メールのソフトは、どんなケーブルを使うかという物理層の変更や、どんな通信手段を使うかというデータリンク層のプロトコルに影響を受けません。だから、各層に対応するサービスが垂直統合する技術的な必然性はまったくないのです。

 

 

OSIの7階層

ネットワーク

1

アプリケーション

具体的な通信サービス。例:FTP/SMTP

2

プレゼンテーション

データの表現方法。例:Syntax (ASCII)

3

セッション

通信開始から終了までの手順。例:RPC/Net BIOS

4

トランスポート

ネットワークの通信管理(エラー訂正、再送制御等)例:TCP/UDP

5

ネットワーク

ネットワークにおける通信経路の選択(ルーティング)。例:IP

6

データリンク

隣接的に接続されている通信機器間の信号の受け渡し。例:Ethernet

7

物理

銅線/光ファイバ間の電気信号の変換等。例:加入者線

 

ネットワークは、それ自体、単なるキャリアーなので、キャリーされる貨物とは、技術的に、したがって経済的にまったく独立であるはずです。このことを「ネットワークの中立性」といって、100年以上にわたって産業組織の基本構造といわれてきました。ある産業レイヤーが技術的にまったく独立な別の産業レイヤーに干渉するのは、技術的な必然ではないのです。

 

総務省の懇談会[27]は、いままでの「ネットワークの中立性」という技術的概念の上に、「公平性」という政治的概念をオーバーレイして(いわば第ゼロ層「政治層」を作って)、こまかいガイドラインで規制しようとしています。しかし、「公平性」という基準は必然的に恣意的になるし、そもそもガイドラインというのが原因を問わない対症療法で、帯域制御を原則合法として、一定の場合だけ禁止するという本末転倒になるので、技術や経済の変化によっては、なにもしないより悪い結果をもたらす可能性があります。通信会社をキング・メーカーの皇帝にして、官僚がその上の法王の地位におさまることになります。私がこの講演のサブタイトルを「哲学の貧困」としたのは、もうひとつこの理由もあります。

 

だから、日本の場合、独占禁止法という一般法による事後規制が正解です。通信回線のような不可欠施設(essential facilities)の所有者が、利用者に対して差別(帯域制御)をやれば、独占禁止法19条違反の不公正な取引方法、状況次第では3条前段違反の私的独占にもなる可能性があります。

 

むかし、米国で、大陸横断鉄道が1本しかなかったとき、小麦を東部へ送るカリフォルニアの農民から、好きなだけ高い運賃を取ったことがあります。不可欠施設のキャリアーが、生産者と消費者を人質にして、身代金を取っていたわけです。この事件がシャーマン法制定のきっかけになりました。

 

通信会社の帯域制御構想は、古典的な差別で、独占企業がやれば、独占禁止法違反です。「ネットワークの中立性」というのは、いいかえれば、むかしからある「ドミナント規制」の問題にすぎません。そんなことはしないと思いますが、もしかして、NTTが、自分のNGNに乗っているIPマルチキャストをひいきにして、ライバルのインターネットのウエブキャストを差別するようなことがあったら、排除型の私的独占になる可能性があります(刑事罰がありますよ)。

 

4.新世代ネットワーク(NewGN

 

41.米国

 

閉鎖・集中・受信型のNGNに興味を示さない米国は、次世代(Next Generation)を飛び越して、新世代(New Generation)ネットワーク(「NewGN」)のアーキテクチャーをイメージしたGENIイニシアティブを進めています。

 

GENI (Global Environment for Network Innovations) イニシアティブは、インターネットの生みの親だった全米科学財団(NSF)の資金で設立され、コミュニケーション/ネットワーキング/分散システム/サイバーセキュリティ/ネットワーク・サービス/アプリケーションなどの問題についての広範な実験を可能にするプラットフォームで、とくにインターネットとの互換性は要求されていませんが、GENIの実験の成果をインターネットに取り入れていくこと、または、インターネットと並行して建設されるあたらしい通信インフラストラクチャーを設計することが目的とされており、インターネットをリプレースするものとは捉えられていません[28]

 

官僚や独占企業が方向を決めて、その枠内で研究開発が行われる日本と違って、米国の国家プロジェクトは、いつも大衆参加の巨大なブレーン・ストーミングなのです[29]。国家自体がアナーキスト的なところがあります(この場合は「ポピュリズム」というほうがより正確でしょうか?)。

 

いま出てきているGENIの個別プロジェクトは、@新たな機能の創設(データやパケット、回路制御の現在のパラダイムを越え、新たな名前解決(DNS)の仕組みやアドレス、全体的な識別アーキテクチャ、新たなネットワーク管理のパラダイムを設計)/A高度な能力の開発(セキュリティ対策機能をアーキテクチャに組み込みプライバシーと権限のバランスを調整し、地域の特性を生かすために調整できる高可搬性のアーキテクチャを設計)/B新たなアーキテクチャの開発・有効化(一般的に利用可能なデバイスで利用できる未来の技術(例えば新たな無線技術や光学テクノロジーなど)を見据えて、新しいコンピューティング・パラダイムを取り入れた新たなアーキテクチャを設計)/Cより高水準かつ抽象的なサービスの構築(情報や場所に特有なサービス、識別フレームワークを使用)/D新しいサービスとアプリケーションを構築(強固かつ管理可能でセキュリティ能力にも優れた大規模分散型アプリケーションを作成、その原理原則やアプリケーションのひな型を開発)/E新たなネットワークアーキテクチャ論の開発(ネットワークの複雑性やスケーラビリティ、経済的インセンティブを調査し、開発に結びつける)などの目的を持っています。

 

まだ内容的には固まっていないし、いろいろ盛り沢山なので、わかりにくのですが、落ち着いて読めば、これが閉鎖・集中・受信型ではなく、インターネットの基本的アーキテクチャーを発展させ、インターネットの欠点を克服しようとする開放・分散・発信型の(コントロールされたオープン)アーキテクチャーだということがわかります。

 

42.日本

 

日本でも、総務省系の研究会が、NGN5年先と予定されるNewGNについて、20078月、「新世代ネットワークアーキテクチャーの実現に向けて」という報告書を発表しています[30]2007 4 月、研究プロジェクト「AKARI」が、NewGNアーキテクチャの原理と手法/基本構成/その検証のためのテストベッドに対する要求条件等からなる「新世代ネットワークアーキテクチャAKARI 概念設計書」を取りまとめ、公表しました。お国柄を反映して、GENIの持っているアナーキスト的な性格より、わずかに管理志向に寄っています。

 

日本のNewGNは、インターネットの通信品質がベスト・エフォットであることと、セキュリティ機能が弱いことを欠点として捉え、NewGNがこれらの欠点を克服するアーキテクチャーであることを目標にしています。

 

QoSをできるだけよくするのは結構な話ですが、セキュリティは諸刃のナイフです。「セキュリティ」には、@ウイルス攻撃やスパム・メールなどに対する消費者サイドでの安全という意味と、A旧メディアの権益保護や企業の情報囲い込みという供給者サイドの安全というふたつの意味があり、Microsoftなどが常々言っている「セキュリティ」とはAの意味なのですが、そのようなセキュリティを、開放・分散・発信型で実現するのは、理論的に不可能です。NewGNの報告書は、落ち着いて読むと、Aの意味のセキュリティを無視していることがわかります。ここがNGNとの大きな違いです。もっとも、機器認証(IDポータビリティ)はやるつもりのようです。プライバシーは尊重すると言っていますが、やはり、官庁としては、情報統制がやりたいのですね。

 

おわりに

 

いまほんとうに起こっていることは、日欧が、旧来の電話会社と旧メディアによるアンシャン・レジームの延命を図り、官僚がそれに便乗して完璧な情報管制を実現しようという焦りから、情報革命の歴史的な方向からどんどん逸脱しようとしていることです。

 

官僚や独占企業が主導した技術プロジェクトの失敗−−たとえば、IBMSNAに対抗しようとしたOSINHKのアナログ・ハイビジョン、NTTISDNLモードなどなど−−を、私はたくさん見てきているので、どうしても懐疑的にならざるを得ません。

 

20076月、総務省系の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」が、「中間とりまとめ」を発表しました。インターネットがコンテンツ配信機能を充実させて、テレビの機能と重なり始めている現在、いままでの、テレビが放送法、インターネットが通信法という縦割り法制では規制が難しくなってきているという基本的認識から、この縦割りをやめて、情報通信法(仮称)という新法を作り、下のようなレイヤー別規制に転換しようという構想です。

 

レイヤー

規制

 

コンテンツ

特別メディア

地上波テレビ放送

放送法なみ(免許制)

一般メディア

CS放送/IPマルチキャスト

放送法を緩和(番組編成準則)

公然通信

HP/ブログ/商業サイト

共通ルール/ゾーニング規制

プラットフォーム

WMPNGNDRM

オープン性確保

伝送インフラ

電気通信・放送施設

公正競争

 

今日の私のテーマに関係があるのは、一般メディアのIPマルチキャスト(この言葉は使っていませんが・・)と公然通信です。

 

この表を一目みてわかることは、いままで放送番組レベルでの規制しかなかったIPマルチキャストに、地上波放送に準じる直接規制を及ぼそうという官僚の野心です。放送は、電波周波数の割り当てという技術的な規制の理由があるのですが、そんな理由の全くないIPマルチキャストにまで言論や表現の統制を拡張しようというのは、「野心」というほかありません。 思想警察でもあったむかしの内務省のDNAがまだ生きていたのですね。

 

もっと問題なのは公然通信です。いままで規制ゼロだったインターネットに、違法/有害サイトの規制をかぶせようというのです。「中間取りまとめ」の委員の中には憲法の先生もいるので、憲法21条−−1項で「表現の自由」、2項で「検閲の禁止」と「通信の秘密」を保障−−は承知しており、「違法」はもちろん「有害」もある程度は規制可能と見ています。ただ、それはあくまで法の正当手続きによる司法判断によるべきで、一介の役人が自分の小市民的な倫理基準で判断していい世界ではないのです。

 

公然通信については、米国はまったく規制するつもりはありません。しかし、「中間取りまとめ」は、「歴史的・文化的差異を考える」といって伏線を張っているので、日本のが一番厳しくなる−−いまのテレビ放送と同じように人畜無害になる−−可能性がありますね。

 

革命には破壊がつきものです。情報革命もおなじです。いまのポップ・アートの中には、20世紀的/小市民的モラルを破壊する傾向のものがあります。子供も喜んで見ています。私も子供のころ大人の雑誌を隠れて読んでいました。皆さんもそうでしょう。いまのインターネットの中にあるアダルトやバイオレンスは、中には本当に有害なものもあるでしょうが、過剰規制は、インターネットがせっかく点火した21世紀ルネッサンスを窒息させてしまうおそれがあります。

 

私の担当は競争政策なので、プライバシーや文化問題にまで口をだすのは越権行為のようですが、そうではありません。究極の競争政策とは、公私にわたる規制撤廃−−自由の実現−−なのです。競争原理には、もともとかなりアナーキィなところがあります。インターネットの持っている無限の可能性を自由に展開させて、なにがでてくるかみてやろうじゃないかという、米国のアナーキズムが、いろんな矛盾や痛みを抱えながらも、大きなスケールの文化を生み出していくのではないでしょうか。

 

あとがき−−アナルコ・キャピタリズム

 

今日の話の中で、私は、インターネットの特徴のひとつとして「アナーキズム」とか「アナーキスト」という言葉をよく使っています。「アナーキズム」は、フランス革命後期、Proudhon[31]によって記述された社会思想で、日本では「無政府主義」と訳されています。現代の米国では、「アナーキズム」という言葉が左右両翼いずれからも嫌われていて、かわりに「リバタリアニズム」とか「リバタリアン」[32]と呼ばれることが多いのですが、私は、その本来の破壊的(と言って悪ければ革命的)な性格を際立たせるため、あえて「アナーキズム」/「アナーキスト」/「アナーキィ」を使っています。

 

インターネット「おたく」たちは、「アナーキスト」と呼ばれることに反発したり、おびえたりするでしょう。反対に、国家権力と命がけで戦ってきた昔のアナーキストたちは、インターネット「おたく」なんかと一緒にされたことに憤慨するでしょう。しかし、インターネットとアナーキズムの類似点は、無視できないほど強いのです。現象を感情をまじえず受け止めることが、社会科学の第一歩です。

 

個人の自由を至上の価値として、国家権力の干渉をできるだけ排除しようとするアナーキズムは、そのあとの社会をどう構想するか、とくに、反社会的な犯罪に対する最小限の警察機能を残すかどうかなどによって、いろいろな細かいセクトに分かれます。このなかでは「アナルコ・サンディカリズム」というのがいちばん有力で、国家を廃止したあとの社会秩序を、技能労働者の組合(syndicat)によって再構築しようというものです。

 

インターネットのアーキテクチャーは、もともと市井の技術者たちが自然発生的に決めてきたものですが、いまでも自由参加のIETFInternet Engineering Task Force−−技術標準設定)/W3CWorld-Wide Web Consotium−−アーキテクチャーなど標準設定)/ICANNInternet Corporation for Assigned Names and Numbers−−ドメイン・ネーム付与管理)という非営利3組織によって、全員参加型の直接民主主義で自律的に運営されています[33]。米国政府はまったく干渉しようとしていません。この意味でも、インターネットはアナーキズムの子です。

 

インターネットのアナーキスト的性格を別のセクトの視点から見てみましょう。インターネットには、国家権力や、国家権力によって裏付けられた私的独占(たとえば知的財産権)を排除したあとの空白を市場原理で再構築しようとする「アナルコ・キャピタリズム」というセクトの構想が、ぴったり当てはまります。

 

たとえば、インターネットの進展で、いまの著作権や隣接権が執行不能におちいったあと、「音楽をできるだけ安く買いたい−−だめだったらいらない」という需要と、「音楽をできるだけ高く売りたい−−だめだったら限界費用さえ回収できればいい」という供給とが一致する点で均衡が実現し、それなりの社会秩序が保たれるという構想です。この場合の均衡は、著作権や隣接権による超過利潤がなくなり、音楽の価格が創作のコストにまで収斂するので、薄利多売型の均衡、つまり大衆社会におけるポップ・ミュージックという文化的均衡が実現します。このへんで、ポップ・カルチャーの米国と、古典文化のフランスが袂を分かつでしょうね[34]。以下は米国を念頭において考えています。

 

「アナルコ・キャピタリズム」モデルで考えると、ネットワークに関するいろいろな現象がうまく説明できます。たとえば、さっき言った「ネットワークの中立性」の問題など、市場原理そのものを守るための警察機能(独占禁止法)だけ残して、あとは市場原理にまかせればいいのです。リッチ・コンテンツの配信で、通信速度が落ちたり、画質が悪くなったりしても、それは一時のことで、いずれバックボーンへの投資が増えて、均衡をとりもどすでしょう。それが経済循環です。よけいな規制をかけて、自然の経済循環を妨害すると、一時的な不況をかえって深刻化・長期化します。

 

「アナーキズムは・・人の人による搾取を廃止することを目的とする・・社会主義の同義語だ」[35]という社民主義の定義からすれば、anarcho-capitalismは、たしかに、「白い黒板」のような自己矛盾ですが、6,000万人のノンポリの若者を動員したNapster現象[36]を説明するためには、定義の拡張が必要だと思います[37]。あたらしい現象を説明するのに、いつまでも古い定義にしがみついていたのでは、社会科学の進歩はありません。定義の拡張が許されるのであれば、インターネットは、歴史上最も長く−−しかも無血で−−持続したアナーキズムだと言っていいと思います。1871年のパリ・コミューン、1936年のスペイン革命、いずれもこんなに長続きしませんでした。

 

人は人にとって狼である、核抑止によってのみ恐怖の平和が保たれる、会社とクルマは大きいほどいい、経営とは会社の末端まで管理することである・・というガチガチの20世紀的管理社会のなかで自己疎外に陥った米国の若者(おたく)たちのなかから生まれてきたメディアがインターネットで、そこから生まれようとしているのが21世紀のポップ・カルチャーではないかという仮設を考えています。

 

孫引きで恐縮ですが、いい紹介文[38]がありますので、ちょっと引用してみましょう。「男は強く、女も積極的に。そんな生き方を無言のうちに強いられる米国社会では、内気で他者と距離を置きたい若者、とくに男子は、ストレスをためざるを得ない。日本のマンガやアニメはそんな「非主流派」の若者の共感を呼んだ」[39]。私もまったく同感なのですが、この引用は、ちょっとデクラッセ(落伍者)意識が強すぎるようです。Napsterのユーザー6,000万人を「非主流派」と呼ぶことはできません。時代の大きな流れだと思います。

 

同じ引用を続けます。「海外が新たな日本の魅力を発見したのと入れ替わるかのように、日本の作り手の独創性は停滞期に入った。・・原因は多岐にわたる。・・現場の作り手に利益が還元されにくい仕組み。・・さらに、合意を重視する日本的経営が作品の魂を吸い取る」[40]。「表現や規範の自由にも黄信号がともる。今後増加が見込まれるコンテンツ・ファンドが、過去の実績とファンドの利益を重視した投資と回収を行えばアニメ業界はますます衰退する」[41]

 

いまマンガやアニメなど日本発のポップ・カルチャーが米国で受け入れられているのですが、このせっかくのチャンスに、政府が、インターネットを目の敵にしている旧メディアを過保護するあまり、送信可能化権や家庭内受信保存権、そしてそれらをロボットで実現するDRMで、インターネットを−−そしてポップ・カルチャーを−−窒息させています。IPマルチキャストが、著作権レジームを変えていくどころか、著作権に迎合するネットワークを作り上げようとしています。

 

Napsterに登録していた6,000万人の若者は、Napsterが非合法化されると、黙々と第2世代p2pMorpheusKazaAに移っていきました。これがまた非合法化されると、また黙々と音楽から離れて、YouTubeへ移っていきました。昔のアナーキストたちは、みんな英雄的なことを書いたりやったりしたものですが、この豊かな大衆社会のアナーキストたちは、大言壮語をしないかわりに、気に入らなければ買わないという市場原理を黙って実行するのです。

 

市場に敏感なビジネスマンたちは、これをいち早く見抜いて、たとえばAppleAmazonWal-Martが、DRMなしで音楽配信を始めています。これがアナルコ・キャピタリズムのもうひとつの顔です。いまユーザー/事業者両面で、静かなアナルコ・キャピタリズム革命が起こっていることにお気づきではないでしょうか。

 

1960年代のヒッピー現象、70年代のベトナム反戦、80年代の失業と就職難、90年代のインターネット・バブルとその崩壊、2000年代のNapster現象。この40年間にわたる若者たちの行動−−爆弾を投げるわけでもなく、ただ権威に服従しないという否定的行動−−をアナーキズムと呼ぶかどうかは、定義の問題にすぎませんが、この歴史のなかで生まれ、孤独な若者たちにせめてもの自分のidentityを与えてきた場所、それがインターネットだったのです。

 

コンテンツ・キャリアー・ネットワークとしては、インターネットとIPマルチキャストがしばらくの間並存するでしょう。客層が違うのであまり競争にはならないでしょう。しかし、開放・分散・発信型のインターネットは、21世紀初頭のポップ・カルチャーのプラットフォームとして、特別の地位を維持し、情報革命という、いままで人類が経験したことのなかった革命の文脈の中で、あたらしいルネッサンスに点火すると、私は確信しています。

 

 


[1] インターネットの特徴として従来よく言われていた「自律・分散・協調」(たとえば20079月の総務省「ネットワークの中立性に関する懇談会報告書」11ページ)は、アーキテクチャーの設計者側からの視点である。これにに代えて、私が「開放・分散・発信」というのは、ユーザー側からの視点である。1969年以来、軍と大学の中だけで使われていたARPANETは、1990年代はじめ、商用許可とWorld Wide Webの採用によって、主としてe-コマース用として爆発的に普及したが、2001年ネット・バブル崩壊を乗り越えて、いわゆるWeb 2.0として第2の黄金時代を迎えている。Web 2.0の最大の特徴が、ユーザーからの「発信」である。ユーザーからの発信で成り立っているすべてのブログやYouTubeWikipediaはもちろんだが、Googleもユーザーの発信数を基礎としてランクづけされたデータベースだし、米国のAmazonではカスタマー・レビューの発信数が人気のバロメーターになっている。先進国で唯一「送信可能化(アップロード禁止)権」を有する日本では、ユーザーからの発信が心理的・倫理的にdiscourageされている。文化庁は、来年、前代未聞の「家庭内受信保存(ダウンロード禁止)権」を創設するつもりらしいが、公正利用一般条項のない日本では、インターネットによる創作の意欲をますます萎縮させることになるだろう。

[2] 土屋大洋「セルフ・ガバナンスの意義と変容」、林・池田編『ブロードバンド時代の制度設計』(東洋経済新報社、2002年)187頁。

[3] 日経07-6-14

[4] http://www.cbsnews.com/sections/i_video/main500251.shtml?channel=eveningnews

[5] The New York Times (NYT) 07-9-19

[6] NYT 07-10-29

[7] http://www.nyc.gov/html/nycmg/nyctvod/html/home/home.html

[8] 日経07-8-7

[9] NYT 07-7-27

[10] http://www.ina.fr/

[11] 従来の電話網では、中央交換機がすべての通信制御をおこない、端末には自律的な機能を与えなかった。機器認識や課金などの付加機能も、はじめは中央交換機が、のちには付属のコンピューターがおこなっていたのである。一方、インターネットは、はじめから自律分散型のネットワークとして構想され、ネットワーク側はTCP/IPによる伝送だけをおこなう、いわゆるスチュッピド・ネットワークといわれた。NGNはこの方向に対する在来の電話会社からの総反撃といえる。あとで述べる「ネットワークの中立性」論争とも関係がある。

[12] NGN ForumBTNGN戦略を聞く(3)」http://wbb.forum.impressrd.jp/NGN

[13] とくに共産党独裁の中国が熱心である。おそらくNGNが絶好の情報管制マシーンであることに気づいたのであろう。その意味では、インターネットに熱心な韓国と、旧メディアの利権保護しか眼中にない日本と、それぞれまったく別な方向を向いている3者間で合意が成立するかどうか疑問である。結局、携帯電話のときと同じく、米国と欧州と中国がそれぞれ独自規格、日本が孤立した状態で独自(NTT)規格ということになるのかもしれない。携帯電話と違って、NGNサービスは持って歩くわけではないので、国家市場に閉じこもった勝手な規格が通用しやすい。問題は、それによって、文化のかたちが違ってしまうことだ。

[14] 後藤良則「IPTVの標準化動向 (2)http://wbb.forum.impressrd.jp/。米国は機器の供給者として熱心である。

[15] 「責任品質(QoS)」というのは半端な責任ではない。興味深い判例がある。パソコン通信による名誉毀損でプロバイダーが責任を問われた事案で、内容チェックを全然していなかったCompuservedistributorとして無責とされ(Cubby, Inc. v. Compuserve, Inc., 776 F. Supp. 135 (S.D.N.Y 1991))、内容チェックをしていたProdigypublisherとして有責とされた(Stratton Oakmont, Inc. v. Prodigy Servs. Co. N.Y. Misc. LEXIS 229, 23 Media L. Rep. 1794 (N.Y. Sup. Ct. 1995))。いい子ちゃん症候群の日本人にとっては、意外な結果であろう。「QoS(責任品質)」を標榜するNGNは、責任を貫徹するため、コンテンツの審査をとことんまでやることになる(これはホームページ審査の厳しいYahooと、ぜんぜんしていない(と思われている)Googleの違いでもある)。IPマルチキャストは、人畜無害の公式サイトだけで占められることになる。

[16] 「価格ゼロ」というのは、各バックボーン事業者にとって、パケットの送受信数が均衡しているという理想的な場合のことであって、実際には、ネットワーク外部性が働らいて格差が出てくるので、バックボーン事業者が集中する米国への支払超過が、とくに途上国で問題になっている。また、画像情報が増えてバックボーンの設備増強が要求されるにつれて、トランジット料金(したがってISP料金)が最近高騰気味である。ただ、インターネットの料金は、もともと無規制の競争価格だという点で、エッセンシャル・ファシリティズ独占に対する規制料金とはまったく違う。

[17] 総務省「通信・放送の在り方に関する懇談会」(20066月)。

[18] 文科省著作権分科会「IPマルチキャスト放送及び罰則/取締り関係報告書」。

[19] 現在ITU-TFG-IPTVがほぼ合意したIPマルチキャストの標準は、「インタラクティブ性」を要件の1つとしているが、同時に、トラフィックは圧倒的に下りが多く、上りはプログラム・リクエスト程度にとどまるという非対称性も認めているので、本質的に「受信型」といってよい。後藤良則「IPTVの標準化動向 (4)http://wbb.forum.impressrd.jp/

[20] 大西・上原ほかhttp://wit.jssst.or.jp/2004/WIT2004/WIT2004-onishi.pdf

[21] NYT 07-8-29

[22] 閉域網によるコンテンツのインタラクティブ配信の総称として、従来は、ブロードキャスト/マルチキャスト/ユニキャストの3者をカバーする「IPTV」という言葉がよく使われていたが、IPマルチキャストの技術的優位がはっきりしてきたので、論点を簡明にするため、ここでは「IPマルチキャスト」に絞ることにする。

[23] 「ウエブキャスト」の定義もさまざまで、商標や商号になっている場合もあるが、ここでは開放網によるコンテンツのインタラクティブ配信の総称として使っている。

[24] 総務省「通信・放送の在り方に関する懇談会報告書」(20066月)。

[25] NYT 07-9-21

[26] NYT 07-11-2

[27] 総務省「ネットワークの中立性に関する懇談会報告書」(20079月)。

[28] http://www.geni.net/overview.html。当初20061月の「GENI概念設計プロジェクト実施プランhttp://www.geni.net/GDD/GDD-06-07.pdfは、それ自体が次々と更新されているという流動的な基本構想(したがって以下の認識もsubject to change)だが、その中の「研究チャレンジの動機づけ」は、インターネットが社会に与えた驚異的な変革を十分認識しながらも、@インターネットが安全(secure)でない(もともとの基本設計の中になかった)こと、A無線通信のような新技術に対応していないこと、B十分ユビキタスでないこと、C経済的な障壁(反競争的行為)に無力なこと・・などを指摘し、「私たちは、信頼低下、革新の減速などの点で、インターネットの社会的効用における変曲点にさしかかってる」と結論する。

[29] 本間忠良「ABM論争の構造分析」http://www17.ocn.ne.jp/~tadhomma/ABM.htm

[30] 総務省「ネットワークアーキテクチャに関する調査研究会報告書−−新世代ネットワークアーキテクチャーの実現に向けて」(20078月)。

[31] この講演のサブタイトル「哲学の貧困」にお気づきだろうか。Proudhonの「貧困の哲学」に対してMarxが浴びせた戦闘的な批判書の題名が「哲学の貧困」である。このサブタイトルは、この講演のおかげで、規制中毒の総務省/業界エゴ中毒の文化庁−−いずれも哲学がない−−の報告書をたくさん読まされた私の苛立ちである。

[32] 「アナーキズム」と「リバタリアニズム」は同義ではない。初期の文献では、後者のほうが上位概念として使われている。最近では、私有財産制のそれぞれ否定と肯定を含むものとして使い分けられることがある。

[33] 土屋前掲論文がくわしい。

[34] 私は古典音楽のファンだが、「ポップ・カルチャー」という言葉を軽蔑的な意味で使ってはいない。モーツアルトだって当時はポップ・ミュージックだったのだ。はじめは王侯貴族や教会、フランス革命以後は商業資本の庇護のもとで生きてきた古典文化と違って、21世紀初頭の文化は、大勢のふつうの人(ポピュリズム)によって支えられる薄利多売型の「ポップ・カルチャー」である。この意味で、もともと絶対王政の産物であった著作権レジームは、いまやポップ・カルチャーの法的枠組みとしては重荷になっている。

[35] Daniel Guerin, L’anarchisme: De la doctrine à l’action (1965), 12

[36] 本間忠良「ネット音楽とアナルコ・キャピタリズム」http://www17.ocn.ne.jp/~tadhomma/AnarchoMusic.htm

[37] Proudhon自身、アナーキズム下での希少資源の分配をどうするかという頭の痛い問題に対して、「競争」を、すくなくとも暫定的な必要悪として提示しており(Guerin, op cit, 54)、豊かな現代における情報資源の配分問題を市場原理で解く発想の萌芽がすでにみられる。

[38] 石鍋仁美「今を読み解く−−自由が生んだジャパンクール」『書評』日経07-7-22

[39] 堀淵清治『萌えるアメリカ』前掲書評に引用。

[40] ローランド・ケルツ『ジャパナメリカ』前掲書評に引用。

[41] 大塚英志『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』前掲書評に引用。